
和合 亮一さん(詩人)
詩人・和合亮一さん、高校で教鞭をとる傍ら、詩壇に確固たる足場を持つ俊英だ。東日本大震災時、福島からTwitterで発信を続けた『詩の礫』は国境を越え、感動を呼んだ。これからの子どもたちは世の中を変えていく力を持っているんじゃないか、その中で詩の一節が政治を、生き方を語る時代になっていけば――、震災後出会ったひとりの少年の作文にそんな希望を抱いた。廉直の詩人に十代と震災を訊いた。
生まれも育ちも福島で
そうです。福島生まれの福島育ち……、そもそも福島を離れたことがないですね。今、教鞭をとる福島市は、母校の福島高校がある。だからこの辺りも良く知っています。演劇部だったので、よく練習に来てね。初任地だった南相馬を除いたら、福島市以外で暮らしたこともないですね。
どんな環境でお育ちに
福島市の東部、伊達郡に隣接した山間の村に生まれて。お店のひとつも見当たらないような山の中に、移動販売車がやって来てはモノを売っていく……。家の周りの一帯は、それぞれの農地に囲まれた和合の一族が一塊になっていた。殆どが農家の集落の夜は早くて、日が落ちてすぐ、辺りは闇に閉ざされる。その漆黒のキャンバスに燦然と煌めく星空が本当に綺麗でね。星の瞬きや月明り、自然の美しさが幼心にすっと染み入った。季節のウツロイが肌で感じられる環境でしたね。
就学の環境は
学校は割合に遠かったですね。当然、通学の間も季節の香りに包まれた。詩を書くようになって思うのは、そうした生活の連続が、季節や歳月の移り変わりを、次第に自分の中の大きなテーマに育てていったのかもしれないということですね。呼吸をするように自然を歩くうち、段々とそれが宮沢賢治や中原中也、萩原朔太郎の世界と繋がっていったわけです。この頃見た光景は、原風景として瞼の裏に鮮やかに刻み込まれている。虫取りやザリガニ釣り……、今も詩を書こうとすると、途端に、幼いころの野山の色や香り、感触が目や鼻をくすぐりはじめる。僕の同年代には、もう里山遊びをしていない人が結構いる。そういう意味では恵まれていたと思います。
