• 十代の地図帳
  • 各界の著名人の十代の道程にその道に入る心構えやヒントを見る

 和合 亮一さん(詩人)

その頃、読書などは

 それが読書量はそれほどでもなくてね。いわゆる〝本の虫″というのでは全然なかったですね。詩を書いたり読んだりという習慣もなかった。生来、喘息持ちで、少しでも無理をするとすぐ体に出てしまう。高学年になり、やっと体が出来てくるまでは、割と病気がちだった。だからそれまでは何事によらず無理を控えて……。祖父は本を大事にする人で、家の蔵には扉付きの本棚があった。開けるとズラリ、本が並んでいる。蔵書は夏目漱石が特に多くて、そこからよく『坊ちゃん』をとっては読んでいた。祖父も僕を「坊ちゃん、坊ちゃん」と呼んで可愛がり、坊ちゃんの話をしてくれた。米沢出身の祖母は、非常な短歌好きで、与謝野晶子や石川啄木、島崎藤村を暗唱していた。父も母も本好きで、休みの日には必ず本屋を周る。僕が何気なく本を眺めていると、それを買ってくれるという具合だった。

当時、書くことに親しみは

 書くのが得意だとかそういうのを意識したことはありませんでしたね。ただ、作文の課題があると、いつも一生懸命書いていた。一度だけ褒められたことがあって……、夏休みの課題の作文を長編にしたんです。それが教室の掲示板に張り出された。国語の時間に書くのも好きでした。先生が読んでくれると嬉しくてね。詩を初めて書いたのは、中学一年のとき。国語の授業中、新しい教科書を開くと、そこに唐詩の写真があった。それを見て詩を書いてみろ、と先生が言ったんです。書くとそれを朗読してくれて。で、それっきりです。そこから後、特に何かしたというわけでもないんですね。

その頃夢中だったのは

 隣の席に当時の親友がいて、その子が漫画を描くのが好きだった。二人でしきりに描いては交換したりしていました。他にも〝録音遊び″をよくやっていた。ラジカセに色々のモノを録音する。そこに好きにシナリオを付けて、ラジオ番組のように仕立てるんです。そんなふうにして日々を過ごしていた。

高校は進学校の福島高校に

 それまで、自分は勉強が出来るんだと思っていたけど、高校に入って、いや、出来ないんだ――、と気付いた感じで(笑い)。みんなそれぞれ志を持って高校に来るわけだけど、勉強の才能がひしめく中で、自分は大したことないと気付くわけですね。ともあれ、創作の萌芽は芽生えつつあって、漠然とではあるけど、何か作ってみたい気持ちは動いていた。で、その頃は音楽が好きだったので、何か音楽をやってみたい、と思った。特に楽器が出来るわけじゃなかったけど、とにかく音楽に関わることがしてみたい。それで、それまでやっていた剣道をやめ、バンド活動を始めた。が、長くは続かず、次に演劇部に入った。でもそれもうまくいかずに結局やめ、フラフラしていたのが高校時代です(笑い)。何も見つけられなかったというか……。文学、創作仲間と話すと、思春期にはみんな誰かしら周りに影響を受ける存在があるんだけど、僕にはそういうのが全然なかった。ただ、今、思い返すと、音楽や演劇に本気で向かっては、一つひとつ律儀に挫折したわけです。そのときに経験した、どれをやってもうまくいかない、という感覚が、その後、大学での覚醒に繋がっていくことになった。挫折を知ることも大切だし、強みにもなる、ということですね。

関連記事一覧