• 十代の地図帳
  • 各界の著名人の十代の道程にその道に入る心構えやヒントを見る

 和合 亮一さん(詩人)

高校時代の思い出は

 そんな性格ですから、やっぱりルーム長(学級委員長)とかやっちゃうわけです。福島高校は学園祭が盛んで、凄く熱心にやるんです。で、2年生のとき、みんなで銀閣寺を作ったんですが、完成を迎えたとき、なんとも言えず嬉しくてね。これは母の言葉ですが、あのときに、今の自分に追い付けたんじゃないかと言うんです。委員長として、設計図を書こうと調べモノをし、クラス一丸、夢中の作業は深夜まで及んだ……。それまで、やりたいことにはなんでもかんでも手を出して、でも挫折して――、だから、そこに賭けたいと思っていたんじゃないかと思うんです。銀閣寺は完成し、そのとき自分の原型もそこにいた。今思うと詩人としての創作意欲の、始まりがそこだったような気がしますね。

教師を目指した経緯は

 家の事情で、大学は福島大学しか行けなかったんです。脳卒中で倒れて以来、父は足が不自由だった。そういう諸々の事情が、僕を福島に留め置いたし、大学も地元の福島大学だけ。進路の選択肢も教育学部が経済学部しかなかった。それで、教育学部を選んだ。国語科を選んだのは、得意ではなかったけど好きだったから。進路を担任に告げると、「なんでお前、国語科なんだ」と言われたのを憶えています。そして、大学3年のとき、詩を書くことに出会い、そこからどんどんのめり込んでいった。そうすると今度は、どうすればうまく仕事と創作活動、勉強を両立できるかを考えるようになる……。そんなごく自然な流れで国語の教師を選んだ。教鞭をとって分かったのは、モノを書くというのと生徒に教えるというのが密接に繋がるということ。どちらもうまく伝えることが必要になるし、多方向から接すると古典作品の造詣も増す。これは年を経るごとに重なりを増していますね。

詩とのなれそめは

 井上光春さんという作家との出会いがきっかけです。小説を書きたいと思い立ったものの、培ったものもノウハウもない。そこで、たまたま目に留まった井上先生の「文学伝習所」というのに参加することにしたわけですが、とにかく凄い勢いで迫ってくる。2泊3日、30人余りの参加者は、殆どが40代以上のプロ志望者、井上先生のお弟子さんも多数いて、凄い熱気だった。そんな中に、二十歳の若武者単身の参加とあって、先生は特に目をかけてくれたようだった。夜の飲み会にも誘われ、行って見ると、もうみんな凄い勢いで、先生と激論を交わしている。それを傍で黙って聞いていた。最初は、ちょっとこのノリにはついていけないな、と引いていたけど、次第に、それに呼応するように内部から創作意欲が湧きだすのを感じてきて。で、今ではもうその世界にどっぷりですからね。不思議だなァと思います。講座は、小説か詩か書ける方を持って行き、3日目に合評会があった。自分としては小説よりは詩の方がまだ書けたので、いくつかを持って行きました。合評会なんて生まれて初めてのことだし、そもそも自分の書いたものが詩になっているのかも分からない。緊張に身を強張らせていると、いよいよ順番が回ってきた。まずは参加者の感想があって、最後に先生、という流れです。いくつかの言葉をもらい、思わず気になっていたことを聞いた。「詩になってますか――」先生は、なっている、と頷いた。そして、今度は参加者に向かい、この人は詩の書き方を知っている、とまで言ってくれたんです。それで有頂天になっちゃって(笑い)。

関連記事一覧