
「対話的探究への招待――哲学すること、対話すること」第1部 哲学と対話
第9回 主体的な真理の探究としての哲学と対話〈中篇〉
「主体的な真理の探究としての哲学と対話」については二部構成でお届けする予定でしたが、当初の予定を変更して三部構成でお届けします。
前篇では、キェルケゴールによる主体的な真理の探究の足跡を辿り、「キリスト教界にキリスト教を再導入する」というキェルケゴールのライフワークを輪郭づけました。今回の中篇では、ソクラテスを同伴者として、キェルケゴールが独自の〈実存哲学〉と「間接的伝達」を着想し、練り上げる筋道を描きます。
ソクラテスのイロニー
キェルケゴールの思想形成は、ソクラテスからの決定的な影響のもとにあります。キェルケゴールは 1849 年の日記に、「ソクラテスが私にじつに深い影響を及ぼしてきたというところに、やはり私の特質がある」、「私にはどこかソクラテス的なものがある」と書き留めています1。
学位論文『イロニーの概念 ソクラテスをたえず顧みつつ』(1841 年)では、「ソクラテスのイロニー」が主題化されます。これについては、すでにプラトンが『国家』で言及しています。弁論家・ソフィストのトラシュマコスは、ソクラテスとの対話において次のように語ります。
そらそら、お出でなすった! これが例のおなじみの、ソクラテスの空とぼけというやつさ。そう来ることは百も承知で、わたしはここにいる人たちに、ちゃんと予言しておいたのだ。あなたはきっと答えるのをいやがるだろう。だれかに質問されると空とぼけて、何だかんだと言いつくろっては答えるのを避けるだろう、とね。2
ここで「空とぼけ」と訳されているギリシア語「エイローネイア」(eirōneia)は、「アイロニー」(irony)という英語や「イロニー」(Ironi)というデンマーク語の語源にあたります。「エイローネイア」とは、ある人の内側と外側が異なった状態、矛盾した状態にあることを意味します。外部から見ると、それが「偽装」や「仮面」に映るのです3。
1 セーレン・キェルケゴール『キェルケゴールの日記――哲学と信仰のあいだ』鈴木祐丞編訳、講談社、2016年、199頁。
2 『プラトン全集11』田中美知太郎・藤沢令夫訳、岩波書店、1976年、50-1頁(337A)
3 齊藤信治『ソクラテスとキェルケゴール イロニーの概念』學藝書房、1950年、16頁。
