
「対話的探究への招待――哲学すること、対話すること」第1部 哲学と対話
日常言語をよく観察すればするほど、日常言語と私たちの[理想に基づく論理的]要請のあいだの抗争は、ますます激しくなる。(論理の結晶のような純粋さは、探究の結果明らかになったことではなく、ひとつの要請だったのだ。)この抗争は耐えがたくなり、その要請はもはや、空虚なものになろうとしている。──私たちはツルツルした氷のうえに入りこみ、摩擦がなく、それゆえある意味で条件は理想的なのだが、まさにそのために歩くことができない。私たちは歩きたいのだ。だから摩擦がなければならない。ザラザラした大地へ戻れ!5
こうしてウィトゲンシュタインは、「論理の結晶のような純粋さ」、つまり論理的な要請に従って日常言語を基礎づけるという発想を手放します。「理想」の言語(「ツルツルした氷」)ではなく、多種雑多な現実の言語(「ザラザラした大地」)に立脚するのです。
言語と呼ばれるすべての現象に共通なものなどありはしない。なにか共通点があるから、それらを同じ一つの言葉で呼ぶというのではない。──それらは多くの異なった仕方で、お互いに血縁関係にある。この血縁関係ゆえに、より正確にいえば、これらのいくつもの血縁関係ゆえに、われわれはそのすべてを「言語」と呼ぶのである。6
「言語」と呼ばれるすべてのものに共通な要素がなければ、あらゆる言語の範型(イデア)を想定することはできないし、その必要もなくなります。続く断章では、「ゲーム」を例に、説明が加えられます。
たとえば、われわれが「ゲーム」(Speil 遊び)と呼ぶものについて、考察しよう。私はボードゲームやカードゲーム、ボールゲーム、格闘ゲーム、等々を念頭においている。なにが、これらすべてに共通しているか? ──「それらには、なにかあるものが共有されていなくてはならない。さもなければ、それらは「ゲーム」とは呼ばれないから」などといってはならない。──そうではなく、それらすべてになにかあるものが共有されているかいなかを、よく見るべきなのである。──君がそれらをよく見れば、それらすべてに共有されているなにかあるものを見出すことはないだろうけど、そこに類似性や血縁関係を見出すだろう。しかも場合によっては、ある完全な系列を見出すだろう。(略)
今や、これらの考察の成果は、次のようになる。さまざまなゲームを順次見てゆくと、われわれはそこに、相互に重なりあい交差しあう種々の──大きな、もしくは小さな──類似性の、複雑な網状組織を見るのである。7
5 野矢茂樹『ウィトゲンシュタイン『哲学探究』という戦い』岩波書店、2022 年、70 頁(第107節)。ただし訳語を一部変えています。
6 同書、50‐51頁(65節)。ただし訳語を一部変えています。
7 ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン『『哲学的探求』読解』黒崎宏訳、産業図書株式会社、1997年、55-6頁(第66節)。ただし表記を一部改めています。
