
「対話的探究への招待――哲学すること、対話すること」第1部 哲学と対話
第10回 主体的な真理の探究としての哲学と対話〈後篇〉
前篇では、キェルケゴールによる主体的な真理の探究の足跡を辿り、「キリスト教界にキリスト教を再導入する」というキェルケゴールのライフワークを輪郭づけました。中篇では、ソクラテスを同伴者として、キェルケゴールが固有の〈実存哲学〉と「間接的伝達」を彫琢する筋道を描きました。今回の後篇では、〈実存哲学〉の系譜を、キェルケゴールからウィトゲンシュタインへと辿り、言語ゲームという視角から「対話」を捉えなおします。そのうえで主体的な真理の探究としての哲学と対話について考察します。
ウィトゲンシュタインとキェルケゴール
ウィトゲンシュタインは前期の代表作『論理哲学論考』(1921年)の執筆後、深刻な精神的危機に見舞われ、哲学研究から遠ざかりました。他者からの評価を気にかけて、偽りの自分を演じてしまうという「虚栄心」(Eitelkeit)と「臆病さ」(Feigheit)の問題に苦しめられたのです1。その実存的苦悩のなかで、彼はキェルケゴールの著作と本格的に取り組み、自己と誠実に向き合う態度を習得していきます。それはキェルケゴールがソクラテスから受け継いだ姿勢です。
これまで確認してきたように、ソクラテスは「思っていること」(思いこみ)と「知っていること」(知)を区別し、自らの「不知」を前提として、他者とともに哲学しました。対話を通して、自他の生き方を導く主体的な真理を探究しました。それを手引きにキェルケゴールは「誠実さ」(Oprigtighed)の思想を彫琢します。自分は大切なことについて知らないばかりか、人間的に不完全であり、罪深い。キリスト者としても、自分が思い描く「理想」からかけ離れている。そのような自己のあり方を誠実に認める「自認」(Indrømmelse)という課題に取り組むのです。
ウィトゲンシュタインはキェルケゴールとともに、「自認」の問題と格闘し、やがて日記にこう記します。
1 鈴木祐丞『〈実存哲学〉の系譜 キェルケゴールをつなぐ者たち』講談社、2022年、157163 頁。
