
三浦 しをんさん(小説家)
小説家・三浦しをんさん。幼い頃、家の本棚から立ち上ったイマジネーションの泉は、大学を卒業後、しばらくして小説家の大輪の花を咲かすことになる。しかし、その道程は必ずしも順風なものではなく、折りしも時は就職氷河期、目指したマンガ編集者の道は閉ざされ、しばしの流浪の時を経験する。小説家としてのデビュー後も、作品に手ごたえを感じるには少しのときを要したが、その後は、数々の賞を受賞、現在(2026年時点)は日本文芸家協会の新理事長に就任する。偉才に十代を訊いた。
小さなころ、よく本を読まれたとか
そうですね、家にはけっこう本がたくさんあって、文字が読めないころは、親が絵本など読み聞かせてくれましたし、そのうち、どんどん一人で本を読むようになって。ケストナーとかリンドグレーンが好きで、最初は親が買ってくれていたんですけどそれじゃあ足りずに、どんどん自分で近所の図書館に行って読んでいました。お気に入りだったのは『長くつ下のピッピ』で、本当に楽しかったですね。
ピッピは両親がいなくて、大きな家に馬やサルと一緒に暮らしていて、彼らのためにクッキーを焼いたりするんです。クッキーのタネを床一面に広げて型抜きするんですが、そういうピッピの暮らしにもう本当に憧れて。
どちらかというとインドア派な少女時代でしたか
いえいえ、外でも活発に遊んでいましたよ。いまでは動きが凄く鈍重ですけどね(笑)。小さいころは、もうちょっと運動神経があったんです(笑)。家の周辺にはいくつか雑木林があって、畑や原っぱもたくさん残っていたので、日のあるうちは外でみんなと遊んで、家に帰ってタ飯を食べて、その後でちょっと本を読んで寝るか、みたいな毎日でしたね。
いま考えてみると、一番本を読んでいたのは小学校の時だったかな 。もちろん、大人になってからも本は好きですが、小学生のころほどは、内容が自分の中に入ってこない感じがしますね。日本の小説やノンフィクションを読むことが多いです。ロシア文学を読まなかったのは、登場人物の名前が覚えられないというのもありますね(笑)。
中・高校は名門女子校に。こ両親の教育方針でしょうか
いや、それは違いますね。彼らに教育方針と言えるものがあったかどうか知りませんけど(笑)、単に私がその学校に行きたかったんです。子どもに判断を任せたらよくないってことが、よくわかりますね(笑)。私にとっては、ほんとにあれは自分の生涯最悪の選択のうちのーつですね。
まあ、学校が私の性格に合わなかったということなんですけど。でも、凄く仲のいい友達もできて、その人たちとはいまでも友達ですから、その意味ではよかったと言えるかもしれません。
