青い海と空のみちのく八戸から 波動はるかに 第1回 「虹っ子」と蕗の薹            

 昨年12月に川崎市中原区より青森県八戸市へ移居した。八戸は太平洋に面し、青森県下でも降雪は少なく私は浜松出身の夫・治史に、「八戸は東北の熱海よ」と囁き、何とか引っ越しに漕ぎ付けた。

 思えば18歳の春、私はボストンバックに荷物を積みこみ、特急はつかりに乗り込んで上京。コロナ禍で失われたこの3年間のように、大学紛争に塗れた1969年からの歳月は未来が粉々に砕けたっけ。学業もそこそこに卒業後、初めての海外旅行でヨーロッパへ。フランスでもイタリアでも、ここに生まれれば誰でもその地の言語を話す。『ことばはどこから来るのだろう……』と想い帰国。東京で就職しようと受けた団体が後の一般財団法人言語交流研究所で、日本全国での多言語活動の環境づくり、海外約20カ国でのホームステイプログラム開拓、高校交換留学促進、行政・教育現場との協働に関わっているうち、いつの間にか半世紀が経っていた。

 父は「どこまでも行きなさい。そして最後は故郷に戻り、故郷に帰って恩返しできるといいね」と一度だけ静かに話した。その声がいつでも聞こえていた。亡き父のことばに併せて、移居に背中を押したのは『ハルくんの虹/カメルーンと日本 愛と希望のリレイ』絵本(遊行社刊)の原画だった。

 東日本大震災の年、カメルーンから横浜にやってきた留学生Mengnjoさんと交流が深まり、彼が本国の女性と結婚し男児誕生で私たちも大喜びしたが、彼に「HARUSHI」(夫の名前)と命名したことを聞き、生きているとこんなことが起きると驚き、夫も私も感激で涙が溢れた。アフリカ・カメルーンの地に孫のような命が生まれたことで、それまで未知で遥かなアフリカが我々の日々の生活を色濃くし始め、多言語の仲間たちに声をかけて、カメルーン×トーゴホームステイ交流の企画をつくり、2017年秋にカメルーンに出発した。

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