青い海と空のみちのく八戸から 波動はるかに 第2回 東・南・西・北

 私は静岡県の西部、遠州地方の山間部育ちである。この静岡県、特に西部地域に生活する住人にとっては、河川というものは必ず南北に流れ、基幹道路は必ず東西に走るに決まっている。大井川、天竜川といった大河は、北の南アルプスに源流を持ち、南に流れ下り、遠州灘、駿河湾、つまり太平洋にいたる。幹線道路の東海道、鉄道の東海道新幹線、こちらはいずれも静岡県内を太平洋に沿ってほぼ東西に走る。このことがおよその静岡県人の頭蓋の中の地理・方向感覚を支配しているに違いないように思う。おまけに、住居は山間の太陽の日差しに向かって南面に開いており、必ず北面を背負うことになる。それらのことによって、私の頭の中の地図の座標は、常にしっかりと、上下が南北に左右が東西に配置されている。つまり地理を図る場合の基線が南北に流れる河川、東西に走る道路にあって、それが方向感覚を司っているので「東西南北」が自動的に多くなるのではないかと思う。それに比べ、横浜、東京の関東人には東西南北が育つ環境がなく、自身や他人に地理を指示するのに街中の構造物に縋るしかない。何かの拍子にビルとかの人工ランドマークが消えてしまったらどうするんだ?私の場合は方向音痴化した感覚を山手線のリングを頼ってかろうじて修正したわけかな。

 さて、北の街八戸は平野と言える。ある時、知人に自身が所有している山に行こうと誘われた。30分ほど走って「さあ到着だ」と言われても辺りは灌木の林にしか過ぎない。(どこに山があるのだ?)近場の一番高い山は階上岳の約700メートルという、知人の山はたぶん100メートル程度であろう。南アルプス赤石山系の南端ではあるが、私の生まれ育った地は山峡の最も低いところでもおよそ標高300メートルあって、さらに北方に向かうと、峠一つ越えるごとに次第に谷が細くなって両側に山が険しく迫る。“山”というものはそういうところをいうもの(と思う)。

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