清々しき人々 第1回 ウーマンリブ運動を先導した ベティ・フリーダン(1921-2006) 

女性解放運動の出発

 スイスにある国際組織ワールド・エコノミック・フォーラムが今年三月に発表した「男女格差指数」によると、日本は一五六カ国中一二〇位です(図1)。これは経済・教育・医療・政治について一四項目の男女格差の状況を集計した数値ですが、医療は六五位、教育は九二位であるものの、経済の一一七位、政治の一四七位が全体の順位に影響しています。家庭では女性が支配している印象のある日本ですが、世界と比較すると、これが現状です。

図1 男女格差指数(2021)

 

 このような日本の状況は公的な立場にある人物が公開の場面で女性を揶揄するような発言をしたことが象徴していますが、それは発言した個人の資質の問題だけではなく、社会の構造を反映した結果です。それも最近の構造というよりは一五世紀の戦国時代以来、武士が社会を統治してきた歴史を反映した状況です。この男性中心社会は日本だけではなく、西欧社会でも長期の歴史のある構造ですが、その修正が開始されたのは最近のことでした。

 大半の時代と地域において男性が優位であった社会構造を是正しようという活動はフェミニズム(女性解放思想)と総称されますが、国家という単位で格差是正の制度が登場したのは一八世紀のフランスでした。一七八九年のフランス革命の結果、一七ケ条からなる「人間と市民の権利の宣言」が成立しますが、この人間と市民は男性でしかないと女性が抗議し、欧米諸国で抗議運動が登場しました。これは「第一波フェミニズム」と名付けられます。

 その効果により一八九三年に世界最初に女性参政権が成立したニュージーランドを皮切りにヨーロッパ各国を中心に世界各地に女性解放運動が波及していきます(図2)。日本は出遅れて一九四五年に女性参政権が成立しますが、それまでに三一カ国で成立し、アメリカでも一九二〇年に実現しました。その影響からか女性の権利獲得の運動は一旦停滞しますが、日常生活では依然として女性は専業主婦であることを要求される社会でした。

図2 パリでの女性参政権要求デモ行進(1914)

 

 その状況に強力な変化をもたらしたのがフランスの女性作家S・ド・ボーヴォワールが戦後の一九四九年に発表した『第二の性』でした。「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という有名な言葉とともに、これまで明示されることのなかった女性の内面を開示したことと、終生の伴侶であったJ・P・サルトルを旗手として世界を席巻した実存主義の追風もあり、一気に世界に「第二波フェミニズム」の活動が出現しました(図3)。

図3 ボーヴォワールとサルトル(1955)

 

 その影響により、一九六〇年代後半から、アメリカではウーマンリブ運動、フランスでは女性解放運動が活発になり、ニューヨークやパリなどで数十万人規模のデモ行進が発生しました。これは日本にも波及し、各地で集会が開催されるとともに、ミス・コンテストが中止になり、ピルの解禁を要求する運動も発生しました。このようなウーマンリブ運動のアメリカの中心人物の一人が作家ベティ・フリーダンですが、この闘士を今回は紹介します。

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