『哲学する子どもたち バカロレアの国フランスの教育事情』

中島 さおり/著

河出書房新社/刊

本体1,600円(税別)

「閉じた質問・開いた質問」の意味

 七年前パリのメトロ乗継駅ホームで電車を待っていると「2番目に来る電車に乗ればドゴール空港まで行けるわ。」とオフィスに向かうフランスの若い女性が美しい英語で話しかけてきた。なぜ英語なのか尋ねるとパリで仕事を得るには英語が有利。でも話す機会が少ないから話しかけたと言う。どの車両でも完璧に身につくと謳った英語会話学校の広告がやたら目につき、フランス気質もパリでは違うと気づかされたことを思い出した。

 なるほど、『哲学する子どもたち』を読み合点がいく。日本の中学高校と同じ年齢のフランスの子どもたちがどのような生活をし、何をどのように学んでいるのか、何を教えられるのか。第三外国語まで身に着ける教育システムとはどのようなものなのか。手に取るようにわかるのが読んでいて気持ち良い。何といっても驚くのが、成績会議に保護者代表・生徒代表が同席すること。その結果、高校進学先もほぼ学校側から知らされる。

 小さい時から開いた質問で鍛えられ、深く自由にものを考えることが当たり前のように生活の中で自然に身につく。つまり哲学することが生活の中に溶け込んでいるということなのだろう。古典名著をあらゆる教科で取り扱い先人の教えを隈なく読む横断型の学習。内申点のみでバカロレアコースも振り分けられるが、積み重ねられてくる学習の到達点がバカロレアということであるが、その先に学びがある。四時間にわたる哲学の試験が存在する意味がフランスの教育にある。

 日本の教育と全く異なるフランスの教育事情の断面を中高生が知ることで、学びの化学反応が起こるかもしれない。

(評・東京 明星中学校・高等学校 教諭 鬼丸 晴美)

(月刊MORGEN archives2017)

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