『もうひとつのワンダー』

R・J・パラシオ/著 中井 はるの/訳

ほるぷ出版/刊

本体1,500円(税別)

いじめっ子は常に「絶対的悪者」か 

 いつ頃からだろうか、ある時から学校内のいじめが原因で、生徒が自殺した、というような「いじめ関係」のニュースを急に多く見かけるようになった。いや、もしかすると私が知らなかっただけで、それより前にも命を絶ちたくなる程のいじめを受けた人がいたのかもしれない。

 当然のことだがニュースではいつもいじめっ子が問答無用で悪者扱いされる。「もうひとつのワンダー」の主人公の一人、ジュリアンもいじめっ子だった。生まれつき顔に障がいのあるオギーを、隠れていじめていた。前作『ワンダー』では、主人公がオギーで、以前からオギーはいじめられっ子だったから、私はどうしてもオギーの肩を持ちたくなったし、いじめっ子のジュリアンはどう考えても悪人としか思えなかった。

 しかし、ジュリアンにも彼なりの言い分があった。それは読者の我々が想像するものより重大で、深刻なものだったのかもしれない。それが世間にとって単なる「言い訳」でも、少なくとも彼にとってはまっとうな「言い分」だった。

 オギーの顔を「醜い」 と思っても、仲良くしている人は沢山いた。オギーの幼馴染のクリスも、同級生のシャーロットも、何があろうとオギーの味方だった。彼らにとってジュリアンは「我が儘ないじめっ子」だったかもしれない。でもこの本を最後まで読んだ今、もう私は彼を根っからのいじめっ子だとは思わなくなった。本当のいじめっ子とは、自分が誰かを傷つけているなど微塵もおもっていない鈍感な人間だと思うからだ。その点、彼は自分で気付いて反省している。こういった場合、彼を咎める必要はもうないのではないだろうか。

 「いじめ」という行為自体は絶対に許されないし、あってはならないことだ。でも果たして、目の前にいるその「いじめっ子」は本当に「絶対的な悪者」なのだろうか。レッテルを貼るのは簡単だが、まずは当事者たちの言い分を聞いて十分に吟味し、その上で改めて解決法を探るのがいいのかもしれないと感じた。

(評・本庄東高等学校附属中学校2 年 羽渕 真穂

(月刊MORGEN archives2017)

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