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澤井芳信さん(スポーツバックス社長)

 高校は京都成章学園を選んだ。中学3年生の夏、創部以来初の甲子園のチケットを手にした新鋭である。が、昨年度の京都の覇者とはいっても、そこはやはり新興勢力。部員は、ほとんどが「軟式上がり」だった。

 シニアやボーイズの有力選手は古豪に集い、その力は相変わらず強大である。対して、京都星章の本領は、そのシステムにあった。コンディショニングコーチや整体師を揃え、メンタルトレーナーの管理のもと、近代的なトレーニング法をいち早く取り入れていた。

 そこにきて、部員たちはみな驚くほど素直な質だった。監督、コーチを一切疑うことなく、甲子園を目指し、一心に心技体を磨き続ける。すると努力は身を結び、3年次には、見事、春夏連続の甲子園出場。特に夏の大会では、決勝まで駒を進め、〝怪物″松坂大輔擁する横浜高校と熱闘を演じた。

進学で求めた出会いの場

 大学は同志社大学に進学した。人生をトータルで見たとき、まだまだ勉強したいことがあること、人としての学び、出会いの場を求めて、というのが進学の大きな理由だ。が、もちろん大学に入ってからも、身体の核は変わらない。しっかりと野球部に身を置くと、3年までに全単位を取得して4年は野球に集中するぞ、そう目標を建て、ひたすらに邁進する。とはいえ、勉強を疎かにすることは決してなく、学部最難度の「産業関係論」では、高得点をマークした。

 すべては順調に思われた。それでも、ただ一つ、プロになることだけが叶わない。スポーツ誌で来季の主なドラフト候補に自分の名前を見つけ、リーグからプロが出るのを横目に、ついに4年間、ドラフト指名を得ることはなかった。

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