• トップランナー
  • 多種多様な道を駆け抜ける先駆者の生き様、若者への言葉を紹介

澤井芳信さん(スポーツバックス社長)

 卒業後は、社会人野球『かずさマジック』に入団、プレーを続ける。社会人野球は、原則、午前は仕事、午後は練習、あるいは試合、という流れだ。それが都市対抗の大会が始まると、朝から野球漬けになる。給料をもらい野球をやるわけだから、当然、シビアな世界だ。ここを新たな戦場に定め、澤井さんは、再び、プロのスカウトを待つことになる。が、待てど暮らせど、遂に天の声がかかることはなかったのである。

″エージェント″になる

「プロを断念する」、このなにより辛い苦汁を飲み込み、目指したのが、スポーツエージェント(代理人)の道だった。しかし、これは何も突発的な思いつきではなく、高校のとき、思いがけず目の当たりにしたプロエージェントの残影が心の端に引っかかっていたのである。

 選手生命に区切りをつけた澤井さんは、会社を辞め、新たにスポーツマネジメント会社に転職を決めた。選手を引退しても会社に残るという選択肢もあったが、そんな気にはなれなかった。そして、この決断が運命を動かしてゆく。メジャーリーグで活躍する上原投手の所属をきっかけに、担当マネージャーとしてアメリカに渡ることになったのだ。新鮮で真新しい空気と文化が身を包み、全身の毛穴が開いていくのを感じる。2年の逗留は瞬く間に過ぎて行った。

 2013年、澤井さんは早稲田大学にいた。勤め先の会社の経営状態が悪化、辞めざるを得なかったのを機に、スポーツ学を一から学びなおそうと、会社を辞し、大学院進学を決めたのである。「クビです(笑い)」学費どうしょう……、力なく笑いかけると、上原さんは、「そんならもう、独立したら?」こともなげに言った。

続きを読む
3 / 4

関連記事一覧