まとばゆうさん(ピアノ芸人)
いきおいオーディション雑誌をめくると、そこに掲載された事務所に片っ端からテープを送った。あいうえお順のトップだったそのお笑い事務所から返事がきたのは3日後のことだった。
「音楽ができるんだったらお笑いなんか簡単だから――」そう言って社長は放埒に笑った。で、人前にも出れるし……、出たいんでしょ人前? だったらすごくいいじゃん――言葉は笑顔を乗せてまるで魔法のようにまっすぐ全身に浸透していく。「ピアノ芸人」誕生の瞬間だった。
入ってみると、当然だがお笑いの世界は簡単ではない。自分にはない才能がところ狭しとひしめく海で、まとばさんは必死にピアノにしがみつく。とくに苦労したのが「平場」での立ち振る舞いだ。「平場」とはネタの終わりにみんなで話をする場を言うのだが、そこではかならず芸人ならではの決まりごと、「お約束」のやりとりを披露しなければならない。それがどうにも掴めない。
「どうしていいか分からず、結局ワーっと喋っちゃって空気が凍らせてしまうこともあったり……。いまは、「音楽芸人」というのを活用して『気分はクレッシェンド』とか『ゲネラルパーゼになっちゃいましたね』とか言っています。オーケストラでシーンとすることを『ゲネラルパーゼ』って言うんです。そういうふうに音楽用語を織り交ぜるようにしています」
試行錯誤の向こうに見据えるのは「音楽芸人」というジャンルの構築だ。先駆者に目標とする物真似芸人・清水ミチコさんがいるが、そのあと長く空白が続いている。持ちネタの元日本女子サッカー代表・澤穂希の顔真似とピアノの融合も、そんなところにヒントがある。