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木原 実さん(俳優・気象予報士)

 気象予報士の仕事は、単にテレビに出て天気を読むだけではない。まずは自分の出番の台本を書き画面を発注する。堅苦しい気象学を一般視聴者に分かりやすく構成し、画面を明るく、面白くするネタを探すのだ。それを生放送で喋り、今まで通り天気予報もこなす。

 気象予報士になったんだ。今までより詳しく天気を伝えられるよな――、そんな周囲から寄せられる無言の期待に、朝2時から夜半まで休みなく懸命に食い下がる日々が1年間続いた。

 同じ頃、阪神淡路大震災が起こった。未曾有の災害に、国は、防災、減災を目指し『防災士』という新たな組織を設けた。地震のことも勉強するには良いのかもしれない――、そう考えると木原さんはすぐに資格取得に取り組んだ。

 悪い予感は的中し、中越地震、東日本大震災……そして熊本の震災と、その後も日本は立て続けに災害に見舞われた。

 災害の死因の多くが圧死だ。崩れ落ちる建物からいかに身を守るか、災害が起きたまさにその瞬間の身の守りを伝えるのが防災士の最大のテーマである。熊本震災、木原さんは、家を失い、車中泊する人たちへ向け、エコノミークラス症候群(長時間同じ姿勢を続けると発症する静脈血栓塞栓症)の危険性を訴えた。

 話の終わり、ライフワークのお天気コーナーを聞くと、

「基盤にあるのはやはりお芝居。天気予報という舞台をもらって、それに気象予報士という役をもらって台詞は毎日変わるけれども、伝える事は同じ。共演の子供たちもいつも後ろにいて、その子供たちも、相手役は毎日違う。でも同じ時間の中で、伝えるべき事を伝えなくちゃ行けない。そういう舞台のロングランをしている――」

 そんな風に心情を表現した。かつて季節の食べ物や草花を紹介し、お茶の間に爽やかな風を送った〝お天気の時間″も、今はその多くが災害や交通情報に割かれる。しかしこういう時だからこそ、天気コーナーは一服の清涼剤でありたい……、そんな風に話すと、「今日は珍しく『淡竹(ハチク)』という孟宗竹より甘みのある筍の話題を紹介する予定なんです。今スタッフ総出で筍ご飯をつくってるんですよ」と微笑んだ。

 30年続ける番組も、時代に沿いニーズは変わる。変わらずあるのは、日本テレビ午後7時の天気予報、子供に囲まれた明るい面立ちと、元気な「こんばんは」だけなのかもしれない。

きはら みのる 気象予報士・防災士。1986年から日本テレビでお天気キャスターをつとめる。現在は日本テレビ「news every.」で、キャラクターのそらジローと、お天気コーナーを担当。ナレーターや声優、舞台俳優としても活躍。2004年には防災士としての資格を取得し、翌年には日本防災士会常任幹事に就任。現在は日本防災士会参与。2010年度の内閣府「災害被害を軽減する国民運動サポーター」に就任し、ジュニア防災検定(防災検定協会)理事もつとめる。

(月刊MORGEN archives2016)

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