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松岡 和子さん(翻訳家)

 ところがちょっと顔を出して逃げ出した2年生を先輩たちは憶えていた。当時、東京女子大のシェイクスピア研究会は毎年新入生歓迎会を兼ねて、原語のシェイクスピア劇を上演していた。来年の出し物は『夏の夜の夢』だそうだ。その舞台で、あなた、ボトムをやってちょうだい、と先輩がたは言う。一度は逃げ出したものの、劇に出るのは小さい頃から大好きだった。逃げたはずが捕まっちゃって、と松岡さんは照れ臭そうに笑う。

 それからというもの、すっかり演劇の虜になり、3年次では英米の現代劇の特別講義を取り、4年次の卒論ではテーマにテネシー・ウィリアムズを選んだ。情熱は加速を続け、行く行くは演劇の世界で生きてゆきたいという思いは、旗揚げしたばかりの劇団雲の『夏の世の夢』を見て揺るがぬものになる。錚々たる顔ぶれが繰り広げるシェイクスピア劇の面白さは心を捉えて放さなかった。

 こうして両親の反対を押し切って飛び込んだ演劇の世界だが、またしても挫折を味わうことになる。演出の夢を持って劇団雲の文芸部研究生になったはいいが、自分には何一つ〝武器″がないことを痛感させられる。もう一度シェイクスピアに挑戦しようと一念発起、東京大学大学院への進学を決めた。しかしそこでもシェイクスピアを選ぶことは出来なかったのである。

美術の世界が翻訳の仕事の一歩に

 転機は、出版社に勤める妹が持ってきた仕事だった。上智大学の現代美術の教授に依頼したエッセイが上がってきたが翻訳者が見つからない、「お姉さん、やってくれない」その頃の松岡さんは結婚して妊娠中だったが、大学院の勉強の合間に出来ないことはない。

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