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【教育リポート】研究授業「ALS 生きること、死ぬこと、社会的責任を考察する」(千葉県立津田沼高校)

ALS患者の心と選択

 この一連にマスメディアを通じて印象的な発信を続けたのが岡部宏生ALS協会前会長だ。自身も14年ほど前にALSを発症し、一時は絶望のあまり死すら望んだ経験から、この事件は、単なる殺人と安楽死の対立構造というだけでないと警鐘を鳴らした。ALSはその病性上、常に「生きたい」と「死にたい」を繰り返す。じわじわと衰える肉体に、ときに自棄になるし、今度新薬が……、と聞けば希望を抱かずにいられない。

 何より辛いのは、発症後数年で訪れる生死の選択だ。自立呼吸が困難になると、いよいよ人工呼吸器の出番となるが、その決定は患者本人に委ねられる。現実には3割が付けることを選択、7割は生きるのを諦めるが、そこには根深い問題があるのだ。ALSは、その「寝たきり」という病状から、近親者に過酷な介護を強いる。結果として経済的に困窮する家庭も多く、また不治の病だけに希望も持ちづらい。が、それよりも前提にあるのが「パターナリズム」の問題だ。

自己決定の難しさ

 「パターナリズム」とは、立場の強い者が弱い者に干渉して不利益を与えることだが、この場合、当然、医師と患者ということになる。ALSは絶望と希望に揺れ続ける病気だから、今まさに絶望に打ちひしがれているときに、医師に背中を押されれば、スルっと奈落の底に滑り落ちるというわけだ。実際、SNSに投稿される林さんの言葉は、その多くが絶望に滲んだが、生きようと意志を示すものも確かにあった。こう考えれば、今回の嘱託殺人も、パターナリズムを巧みに利用して忍び寄った様子がうかがえる。

命の選択――そこに正解は

 授業は、これら事件のあらましと、それにまつわる師匠・谷川彰英さんの記事をテーゼに、生きること、死ぬことの意味、その背景、そしてそこから導かれる、生徒一人ひとりの自分らしい人生と社会のビジョンを見据える視野を拓くことを目的に進んだ。まず最初に取り上げたのは、林さん、岡部さんの揺れる心理描写だ。黒板はポジティブとネガティブに2分され、それぞれのカテゴリーはすぐに生徒たちの発言で埋まっていく。生来、活力に溢れる二人の言葉は、ときに痛ましく、ときに命の煌めきを感じさせる。

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