清々しき人々 第20回 写楽を誕生させた 蔦屋重三郎(1750‐1797)

江戸の芸術の源泉・浮世絵

 二六〇年にもなる鎖国政策を維持した江戸時代は長崎を経由して細々と伝達される外国の情報以外には孤立しており、結果として様々な独自文化を誕生させることになりました。その中心になったのが江戸の一般大衆に愛好された文化で、『東海道中膝栗毛』や『南総里見八犬伝』に代表される文芸、芭蕉や一茶に象徴される俳諧、そして絵画では浮世絵が流行しました。

 浮世絵は上方でも流行しましたが、やはり多数の人間が生活している江戸が中心で、浮世絵師といわれる画家は記録されているだけでも一六〇〇名余になるほどの隆盛でした。それらの絵師が現在の出版会社に相当する版元との契約や依頼で原画を制作すると、版元は版木を製作して大量に印刷して庶民に販売するという仕組みでした。

 現在の書籍の出版でも、素晴らしい小説を執筆する作家であっても出版会社に販売の力量がないとベストセラーになりにくいし、有力な出版会社でも筆力ある作家との出会いがないと成功しないように、江戸時代の浮世絵師と版元との関係も同様でした。今回は江戸時代中期に美人画で有名な喜多川歌麿や役者絵で人気を獲得した東洲斎写楽を売出して成功した人物を紹介します。

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