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  • 過去に読書と教育の新聞「モルゲン」に掲載された記事からランダムでpickupし紹介。

清々しき人々 第24回 将軍徳川綱吉に二度拝謁した ケンペル(1651‐1716)

日本へ進出してきたキリスト教徒

 一三八五年に成立したポルトガルのアヴィス王朝の初代国王ジョアン一世の三男エンリケ王子は航海王子という別名で有名なように、ポルトガルの船乗りを叱咤激励して未踏の大海を航海させました。その結果、一四八八年にB・ディアスがアフリカ大陸南端に到達、一四九八年にはV・ダ・ガマがアフリカ大陸を周回してインドへ到達する航路を開拓し、西岸にあるカリカットとゴアをアジアでのポルトガルの拠点としました。

 一方、カソリック教会の司祭であったフランシスコ・ザビエルは数人の司祭とともにイエズス会を結成し、ポルトガル国王ジョアン三世の依頼でアジアにカソリックの信仰を普及させるためゴアに移動し、さらに日本を目指し、一五四九年に薩摩半島の坊津に到来しました。もう一人、ゴアでザビエルに出会ったルイス・フロイスも一五六三年に日本に到来し、織田信長から許可を取得して布教活動をします。

 信長は反抗する法華教徒への対策としてキリスト教徒を利用したのですが、羽柴秀吉の時代になって次第に勢力を拡大し、長崎を占拠する計画を構想するほどになったため、秀吉は一五八七年にバテレン追放を発令します。しかし江戸時代になり海外の情報が必要なため、長崎に人工の「出島」を構築し、一六三九年まではポルトガル人、それ以後はオランダ人を居住させ、それ以外の海外との交流を禁止するような制度にします。

魔女裁判の時代に誕生

 この出島に一六九〇年に到来したのがドイツ出身の医師で博物学者であるエンゲルベルト・ケンペルです。ドイツ中部にある小国リッペ=デトモルト侯国のレムゴ(図1)という都市の牧師の家庭に一六五一年に三男として誕生しましたが、当時は三〇年戦争が終結した直後の荒廃した時期で、しかも魔女裁判が頻繁に実施され、多数の人々が処刑された時代でもありました。実際、ケンペルの叔父も斬首されています。

図1 レムゴ(1663)
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