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  • 過去に読書と教育の新聞「モルゲン」に掲載された記事からランダムでpickupし紹介。

清々しき人々 第22回 人類史上最高の知能とされる ジョン・フォン・ノイマン(1903‐1957)

 いずれも優秀な成績で、二三歳になった一九二六年に数学・物理・化学の博士号を授与されています。その数学の博士論文に近代数学の元祖とされるゲッティンゲン大学のD・ヒルベルト教授が感嘆し、その弟子になりますが、素晴らしい能力のため一九二七年にはベルリン大学の講師に就任します。ところがドイツではナチスが勢力を拡大してきたため、ノイマン一家はアメリカに移住する決意をしました。

プリンストン高等研究所の教授

 アメリカの東部にある人口三万人弱の都市プリンストンには一七四六年に創設され、アメリカで四番目に歴史のある有名なプリンストン大学が存在します(図1)。如何に素晴らしい大学であるかは、二〇一九年までにノーベル賞受賞者が六八名(物理学賞は二〇名)、数学の分野の最高の賞とされるフィールズ賞受賞者が一五名という数字が証明しています。世界の理系の大学の評価でも何度も首位になっている有名大学です。

図1 プリンストン大学

 そのプリンストンに、百貨店経営に成功したバンバーガー兄弟が資金を提供し、一九三〇年にプリンストン高等研究所が創設されました(図2)。ここは世界の最高水準の学者を招致することで有名で、これまでもA・アインシュタイン、H・ワイル、R・オッペンハイマー、湯川秀樹など著名な学者が招致されていますが、創設とともに教授として招致されたのがノイマンでした。いかに注目されていたかが理解できます。

図2 プリンストン高等研究所

 それを契機にノイマンはアメリカに移住しプリンストンを拠点にします。本来は数学理論が専門でしたが、ナチスとの戦争になれば応用数学が重要になると判断し、数値解析を研究するようになります。さらにアメリカ陸軍に志願しますが採用されませんでした。当時、ノイマンの恩師の一人である航空工学の大家T・フォン・カルマンが陸軍の研究施設の所長であり、ノイマンに純粋に研究してほしかったからとされています。

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