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  • 過去に読書と教育の新聞「モルゲン」に掲載された記事からランダムでpickupし紹介。

清々しき人々 第22回 人類史上最高の知能とされる ジョン・フォン・ノイマン(1903‐1957)

 その期待に対応した一例が「ゲーム理論」です。ノイマンとほぼ同年にドイツに誕生しウィーン大学の経済学部教授であったO・モルゲンシュテルンもナチスのオーストリア併合を機会に一九三八年からプリンストン大学の教授に就任していました。そこで二人は人間が意思決定する仕組みを数学理論で説明する共同研究をし、一九四四年に『ゲーム理論と経済行動』として発表します。これは現在も利用されている理論です。

原子爆弾の研究に参加

 ドイツと欧米諸国との関係はさらに悪化し、一九三九年九月にドイツがポーランドに侵攻を開始した結果、イギリスとフランスがドイツへ宣戦布告し、第二次世界大戦が勃発します。そのような時期に、ドイツが原子爆弾の開発に着手しているとの情報から、アメリカも対抗して原子爆弾を開発する「マンハッタン計画」を一九四二年に開始します。そこで化学工学を専攻した経験のあるノイマンは、この計画に参加します。

 原子爆弾の材料となるウランの精製工場はテネシー州オークリッジに建設され、爆弾の研究と製造はニューメキシコ州ロスアラモスの国立研究所で実施されることになります。ここでは理論について物理学者R・オッペンハイマーが指揮し、その配下にN・ボーア、H・ベーテ、E・フェルミ、R・ファインマンなどノーベル賞受賞者が勢揃いし、ノイマンも参加しました。さらに計算作業のため名門大学の学生も召集されました。

 この計画に使用する計算機械の能力に不満であったノイマンは砲弾の弾道計算をするためペンシルバニア大学が開発していたENIACという真空管式コンピュータの開発を応援します(図3)。しかし一万七〇〇〇本の真空管で構成される機械には弱点がありました。第一は大量の電力を消費することです。この装置を稼働すると大学周辺の家庭の電灯が薄暗くなるほどでした。これは後年、トランジスタの開発の要因になりました。

図3 ENIAC
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