• 十代の地図帳
  • 青春の記憶に生きるヒントを訊くインタビュー記事
斎藤ちはる

斎藤 ちはるさん(テレビ朝日アナウンサー)

 今をときめく、テレビ朝日、朝の社会派情報番組『モーニングショー』、そのアイコンとして司会の羽鳥慎一アナウンサーを支えるのが、テレビ朝日アナウンサー・斎藤ちはるさんである。若干23歳、アイドルグループ『乃木坂46』からの華麗な転身で、大学在学中からの異例の抜擢も、これが大当たり。今や日本の朝のお茶の間にしっくりと馴染んでいる。テレビ画面の向こう側に憧れた幼い頃—、佳人に十代を訊いた。

ご出身は埼玉ですね

 そうですね。ただ、生まれは千葉の病院で、その後、1、2年を神奈川の相模原で過ごし、そこから幼稚園に上がるタイミングで埼玉の所沢に移り住みました。そこで小学校2年の途中までを暮らし、それから、さいたま市に越してきた、という流れですね。

小さい頃の興味の中心は

 身体を動かすのが好きだったので、よく公園に行って思いっきり遊びました。縄跳びやローラースケートが特に好きで、家の周りで遊んだりもしていましたね。後は綺麗な服やファッションに興味津々で、着せ替えのカードゲームとか、塗り絵とかをよくしたり——。思えば、その頃から、そういう綺麗な恰好や活動に憧れがあったんだと思います。

モデル活動のきっかけは

 七五三のとき、写真館で記念撮影をしたんです。お化粧をして綺麗なお洋服を着せられ、カメラを向けられると、合図と同時に眩いばかりのフラッシュがたかれる。その合間にも、家族や写真館の人たちは、口々に「可愛いね」「素敵だね」って褒めてくれて。それが子供ながらにスゴく嬉しくて、こういうお仕事をやってみたいと強く思った。なにしろ小さいときのことなので、多分、母からの勧めもあったとは思うけど、概ねそういうきっかけがあって、自分から始めた記憶があります。

小学校に入り、一旦はモデル活動を休止されます

 両親は、私にごく普通の小学生として学校生活を送って欲しいという気持ちがあったみたいで、そこで話し合って、一度、区切りをつけることにしたんです。でもやっぱり、本音ではそういうものに対する憧れが心の奥底に沈殿していて。それで結局、小学校高学年のときには、もう雑誌の読者モデルをやったりしていました(笑い)。芸能界のキラキラした空気の中に戻りたいという思いがどうしても強くて。そこからまた、徐々に挑戦を始めて。で、中学のとき、『乃木坂46』への加入が決まり、それから大学の3年くらいまで活動を続けました。

学業との両立に苦労は

 高校受験の直前ぐらいにオーディションがあったりと、節目、節目で大変さはありましたね。でも、そんなときは友人と資料を貸し借りし合って乗り切って。両親には、「大学には必ず行きなさい」と言われていたし、私もそのつもりだったので、大学を出るくらいまではずっと気を抜けない日が続きました。両親は、大学には多種多様な趣味や考え方を持つ友人と出会う機会があって、それが人生に幅を与えると考えていて、私もまた、高校の先の大学から広がる世界を見たいと思っていて……。それで大学進学を決めました。

グループ活動のアイドルならではの苦労は

 それはありましたね。基本、活動がグループ単位なので、中々、一人だけ抜けるっていうわけにいかなくて。ライブって、全員が出て、初めて舞台が完成するんです。もし一人でも抜けたら、立ち位置から何から全部変えなきゃいけない。一度、テストとライブが重なったことがあったんですが、そのときが一番大変でした。一つ下にも一人、大学に行った子がいたけど、やっぱりグループ内では少数派だったのでそこは難しかったですね。マネージャーさんにも色々調整してもらったりして、なんとか帳尻を合わせて。

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