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清々しき人々 第6回 生涯に10万体以上の仏像を彫刻した 円空(1632-1695)

蝦夷の渡島半島に足跡

 山岳修行を終了した一六六五年、三四歳になった円空は全国を遊行する長旅に出発し、最初に秋田に到着して日本海沿いを北上し、各地で仏像を彫刻しながら津軽に到着します。ところが、当時の移動には必須の入国鑑札も保持せず、粗末な服装で彫刻道具のみ携行していた円空は役人に信用されず津軽からの退去を命令されてしまいます。そこで仕方なく青森に移動し、眼前の津軽海峡を横断して蝦夷へ入国することを希望します。

 当時の蝦夷への入国は大変に厳重で、各藩発行の証書と蝦夷での身元引受の人間が必要でした。それらのない円空がどのようにして蝦夷へ渡航できたか不明ですが、一六六六年四月から五月にかけて渡航しています。そして実際に円空が蝦夷に滞在していた証拠があります。当時の蝦夷南部は松前藩支配下でしたが、筆頭家老の蠣崎蔵人が管理していた十勝地方の戸賀知明神社(現在の十勝神社)に円空の作品とされる仏像が奉納されているのです。

 これは現地で作像したものではなく、蠣崎蔵人の依頼により松前で制作した仏像が輸送されたものですが、円空は六月から七月にかけて渡島半島の各地を遊行しながら仏像を製作し、最後は洞爺湖上の洞爺湖観音島にある善光寺奥之院に参籠して仏像を制作しています。この仏像については、約一二〇年後に東北から蝦夷を旅行した菅江真澄が『蝦夷之手布利』に記録していますし、それ以外の仏像についても『えみしのさへぎ』に詳述しています。

 このように蝦夷南部には円空による多数の仏像が存在していましたが、明治初期の廃仏毀釈運動によって多数が破棄され、さらに一九二二年には渡島半島の太田権現(図7)の岩窟内部に設置されていた多数の仏像が火災で全焼するなどの事故があり、現在、北海道内には約五〇体が残存しているのみです。円空の仏像は斧や鉈で荒削りされた表現が特徴とされますが、この時期には鑿を使用した精緻な仕上げになっています。

図7 太田権現(北海道せたな町)

東海地方中心に仏像を制作

 それ以後に円空の名前が登場するのは、徳川家康の九男で尾張藩の初代藩主となる徳川義直の御用医師で、明国から帰化した張振甫が一六六九年に名古屋市千種区内に建立した鉈薬師堂もしくは医王堂といわれる寺院の堂内に安置されている十二神将、日光菩薩、月光菩薩の木像を円空が制作したことです。鉈一本で制作したことが寺院の名前になっています。これによれば蝦夷を訪問してから三年して郷里に帰還していたことになります。

 それから二年が経過した一六七一年には生誕の土地とされる岐阜県羽島市に観音堂を建立して母親の三十三回忌の供養をしています。以後、四八歳になる一六七九年までは、岐阜県郡上市の黒地神明社、名古屋市中村区の荒子観音堂、郡上市美並町の熊野神社のために仏像を制作するなど東海地方を中心に活躍していますが、特筆すべきは一六七四年に三重県志摩市の片田三蔵寺の「大般若経」の修復をするという多彩な活動していることです。

 一六八〇年からは関東地方に遊行に出発し、茨城県笠間市の月崇寺には御木地土地大明神像(八〇)、栃木県日光市の円観坊には十一面千手観音像(八二)、さらに東海地方に回帰し、長野県南木曽町の等覚寺には弁財天像(八六)、滋賀県米原市の大平寺には十一面観音像(八九)、岐阜県関市の高賀神社には十一面観音像(九二)など次々と仏像を制作していきます。そして六四歳になった一六九五年に生誕の土地である長良川畔で入定しました。

仏像から精神を見通す

 円空の木彫の仏像は鉈一本で制作した一刀彫で、一気に仕上げた荒技のように理解されていますが、最初は鉈で荒削りするにしても、多数の彫刻刀を駆使して仕上げており、偶然の形態ではなく、緻密に計算された作品です。円空仏研究者の土屋常義は『円空の彫刻』(一九六〇)で、飛鳥時代の仏像の影響があるものの、既存の形式を打破し、独自の世界を提示し、近代美術の歴史において現代の感覚に直結する造形であると絶賛しています。

 戦後、円空の仏像は芸術作品として評価され、売買さえされていますが、戦前から民衆の生活用品を評価する民芸運動を主導していた柳宗悦は円空の仏像を芸術として鑑賞するだけでは十分ではなく、円空の宗教体験を背景にしていることを理解する必要があると主張しています。円空の人生は不明な部分が大半ですが、宗悦の言葉のように、数千という単位で全国に存在している仏像から、背後にある円空の思想を感知することが重要です。

つきお よしお 1942年名古屋生まれ。1965年東京大学部工学部卒業。工学博士。名古屋大学教授、東京大学教授などを経て東京大学名誉教授。2002、03年総務省総務審議官。これまでコンピュータ・グラフィックス、人工知能、仮想現実、メディア政策などを研究。全国各地でカヌーとクロスカントリーをしながら、知床半島塾、羊蹄山麓塾、釧路湿原塾、白馬仰山塾、宮川清流塾、瀬戸内海塾などを主催し、地域の有志とともに環境保護や地域計画に取り組む。主要著書に『日本 百年の転換戦略』(講談社)、『縮小文明の展望』(東京大学出版会)、『地球共生』(講談社)、『地球の救い方』、『水の話』(遊行社)、『100年先を読む』(モラロジー研究所)、『先住民族の叡智』(遊行社)、『誰も言わなかった!本当は怖いビッグデータとサイバー戦争のカラクリ』(アスコム)、『日本が世界地図から消滅しないための戦略』(致知出版社)、『幸福実感社会への転進』(モラロジー研究所)、『転換日本 地域創成の展望』(東京大学出版会)など。最新刊は『凛々たる人生』(遊行社)。

(月刊MORGEN archive2021)

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