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清々しき人々 第16回 女性の科学への道筋を開拓した エレン・スワロウ・リチャーズ(1842-1911)

女性が少数の科学分野

 一九〇一年の創設以来、ノーベル賞の科学部門三賞(物理学、化学、生理学・医学)の受賞者数の合計は六二八名ですが、女性は二度も受賞したM・キュリー、ゲノム編集の仕組を発明したE・シャルパンティエとJ・ダウドナなど一五名で全体の二・四%でしかありません。かつては女性の研究者数が少数であったからと想像されるかもしれませんが、二一世紀になってからでも受賞者数一五七名のうち女性は七名で比率は四・五%です。

 そのような高度な発明や発見をした女性だけではなく、現在でも科学技術全般で女性の研究者数は少数です。二〇一八年の調査結果では、イギリスが三九%、アメリカが三三%、ドイツが二八%、フランスが二七%など欧米では三割から四割ですが、アジアでは韓国が二〇%、日本が一七%と低率です。今回は女性が研究を職業とすることが現在よりはるかに困難であった一九世紀のアメリカで敢然と挑戦した女性学者を紹介します。

女子大学に入学

 アメリカ北東のマサチュセッツの州都ボストンから北西に五〇キロメートル、ニューハンプシャーとの州境にダンステーブルという都市があります。現在では約三三〇〇人が生活していますが、一八〇年前には五五〇人弱の農村でした。一八四二年一二月、ここに生活するピーターとファニー・スワロウ夫妻に一人の女児が誕生し、エレンと名付けられました(図1)。両親は二人とも教師でしたが、やがて父親は農場を経営するようになります。

図1 少女時代(1848年頃)
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