• Memorial Archives
  • 過去に読書と教育の新聞「モルゲン」に掲載された記事からランダムでpickupし紹介。

清々しき人々 第9回 世界で最初に麻酔を開発した 華岡青洲(1760-1835)

 しかし、青洲は前述の永冨の書物にある言葉や京都で入手した外国の書物によって、欧米では相当以前から乳癌の手術をしていることを勉強し、さらに実妹の於勝が乳癌で死亡したことも影響し、麻酔の方法を確立して乳癌の手術を成功させようと決意します。その気持を「自分は日本の華佗になる」という言葉で表現しました。華佗は中国の後漢時代の名医で、「麻沸散」という麻酔効果のある薬品を使用して腹部の切開手術をした人物です。

 そのために最初に必要なことは手術の激痛を緩和する麻酔効果のある薬品を発見することでした。そこで青洲は多数の書物を参照し、チョウセンアサガオ、トリカブト、ヨロイグサ、カラジビシャク、トウキ、マムシグサなど様々な薬草で試験を開始しますが、中国で鎮痛作用のある薬草として使用されていたチョウセンアサガオとトリカブトを中心に実験をし、「通仙散(麻沸散)」を完成させました。研究開始から十数年後のことです。

多数の犠牲で実現した麻酔

 最初はイヌやネコなどの動物で何度も実験をしますが、人間に効果があるかを判断するためには人体で試験する必要があり、何人かの人間に協力を依頼し、効果を確認しています。裏付ける資料は確認されていませんが、そのうち二人は実母の於継と夫人の加恵とされています。しかし、於継は死亡、加恵は失明するという不幸に直面しています。そのような多大な犠牲はありましたが、ついに乳癌の患者に施術することを決意します。

 自身の医院「春林軒」(図6)に来院した患者に手術内容を説明しますが、最初の三人は恐怖のため辞退します。しかし、左側の乳房が乳癌であった第四の女性「勘」(六〇歳)が承諾し、麻酔を使用した世界最初の手術が実施されました。ところが患者に脚気と喘息の持病があったため、その治療に約二〇日を必要とし、ついに一八〇四年一〇月一三日に手術が実施されました。青洲が麻酔の研究を開始してから二〇年近くが経過していました。

図6 春林軒(左:主屋 右:長屋)

 手術は成功しましたが、患者は乳癌の再発のため、残念ながら四ヶ月半が経過してから死亡してしまいました。しかし、この手術によって青洲の治療の評判は全国に伝播し、合計して一四三名の患者の手術をしています。その経過が判明している患者の状態を集計すると、術後の生存期間の最短は八日ですが、最長は約四一年にもなっており、平均では約三年七ヶ月となっています。世界で最初の治療としては見事な成果でした。

 故郷の平山で活躍する青洲の業績に注目した紀州藩主徳川治宝は一八〇二年に青洲に接見して侍医にしようとしますが、一般の患者の治療ができないと辞退します。そこで一三年に小普請医師格に任用し、一九年には小普請御医師に昇格させます。本来は城下に生活すべき地位ですが、毎月の半分は故郷の医院で一般の人々の治療を許可されました。三三年には医師として最高の奥医師格となりますが、二年後の三五年に七六歳で死去しました。

世界に浸透しなかった技術

 この世界に先駆けた業績は後世に十分継承されませんでしたが、それにはいくつかの理由があります。第一は青洲が開発した通仙散は植物由来であるため、麻酔の効果が発現するまでに時間がかかり、緊急の手術には対応できなかったことです。幕末から明治にかけて国内で内戦が発生したとき、青洲の方法では戦場での緊急の処置に対応できないため、次第にクロロホルムやジエチルエーテルなど化学薬品を使用する麻酔に駆逐されていきました。

 第二は通仙散の製法や成分を公開せず、一〇〇〇名にもなる弟子にも秘密にすることを要求したことです。これは独占を意図したのではなく、使用方法を十分に理解しない医師が使用したり、一般の人々が医療以外に使用することにより医療事故が発生することを憂慮したためのようです。しかし、その業績の意義は一九五二年にシカゴにある国際外科学会付属栄誉館に人類に貢献した医師として顕彰されていることが証明しています。

参考情報

http://www.imu-dent-aa.com/murai.pdf

https://www.terumo.co.jp/challengers/challengers/14.html

※アイキャッチ画像の華岡青洲肖像画の著作権者は和歌山市立博物館になります。画像の商用、ネット利用の際には博物館へのお問合せをお願いいたします。

つきお よしお 1942年名古屋生まれ。1965年東京大学部工学部卒業。工学博士。名古屋大学教授、東京大学教授などを経て東京大学名誉教授。2002、03年総務省総務審議官。これまでコンピュータ・グラフィックス、人工知能、仮想現実、メディア政策などを研究。全国各地でカヌーとクロスカントリーをしながら、知床半島塾、羊蹄山麓塾、釧路湿原塾、白馬仰山塾、宮川清流塾、瀬戸内海塾などを主催し、地域の有志とともに環境保護や地域計画に取り組む。主要著書に『日本 百年の転換戦略』(講談社)、『縮小文明の展望』(東京大学出版会)、『地球共生』(講談社)、『地球の救い方』、『水の話』(遊行社)、『100年先を読む』(モラロジー研究所)、『先住民族の叡智』(遊行社)、『誰も言わなかった!本当は怖いビッグデータとサイバー戦争のカラクリ』(アスコム)、『日本が世界地図から消滅しないための戦略』(致知出版社)、『幸福実感社会への転進』(モラロジー研究所)、『転換日本 地域創成の展望』(東京大学出版会)など。最新刊は『凛々たる人生』(遊行社)。

(MORGEN 2021 1201)

関連記事一覧