• 十代の地図帳
  • 青春の記憶に生きるヒントを訊くインタビュー記事

阿部 華也子 さん(お天気キャスター)

早稲田大学第一文学部に進学されます

 難易度を考えると、付け焼刃の勉強で受けるには高いんじゃないか、と思われるかもしれませんが、実は私、妙に前向きなところがあって、身の程知らずっていうか(笑)。不遜にも、2、3カ月頑張ればイケそうって思っていました。それに何より、両親にやれば出来るってところを見せたかったんです。それまで勉強しなさすぎたのも申し訳なかったですし……。

娘の変化にご両親は

 勉強を始めても、二人に特に変化はありませんでした。よく子どもが勉強をしていると、夜食を運んでくれたりというのを聞きますけど、ウチでは一切なかったですね。階下ではいつものようにテレビの音がして、そのうち、「じゃ先に寝るね」の声。静まり返った部屋でひとり勉強をしていました。両親からしたら、なるようになる、ぐらいの気持ちで、あまり期待もしてなかったかもしれませんね(笑)。そういう意味では少し寂しい受験期でした。

親元を離れ、初めてのひとり暮らし。不安は

 もうスゴく不安でした。それまで両親に甘えっぱなしだったので、料理も掃除も不慣れだし、アルバイトの経験もなかったので。しっちゃかめっちゃかでしたが、とにかく生きてはいました(笑)。

アルバイトはどんなものを

 アルバイト先は大学近くのカフェで、店長も早稲田生ということもあり、早稲田の学生が多かったんです。そこで先輩たちに助けてもらいながら、色んなことを教えてもらいました。学生生活を振り返ると、先輩たちのお陰でなんとかなったんだな、という感じが凄くあります。

芸能活動再開はいつごろ

 ネットで見かけた『美学生図鑑』というサイトのカメラマンをアルバイト先の店長が偶然やっていて、「出てみる?」と誘って頂きました。その撮影のとき、「将来、何になりたいの?」と聞かれたんです。「アナウンサーとかなれたらいいけど無理だよなァ」とボヤくと、「紹介できるかもよ」と。その一言がきっかけとなり、今の事務所を紹介していただきました。そこから話が進み、オーディションを受けて今の仕事が決まったんです。幸運ですよね。

仕事に難しさは

 凄く朝が早い仕事ですけど、それまで、不規則な生活をしていたので、規則正しいリズムを刻むようになったのは良かったと思います。ただやっぱり、学生時代の授業が多い時期は大変でした。テスト期間になるとさらに大変で……。そのときはもう、ガムシャラにっていう感じで突破していましたね。お仕事を頂けるうちは頑張ろうという一念で、「やるしかない」と覚悟を決め、淡々と目の前のことを一生懸命頑張る。授業中、眠くて堪らなかったこともあったし、仕事場から直接大学に行き講義に出たり……、とても忙しかったのですが、なんとかなりました。

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