清々しき人々 第17回 近代の女子教育に尽力した下田歌子

女性が活躍しはじめた明治時代

 明治時代というと男性が活躍した時代という印象です。実際に政治も行政も経済も歴史に名前が記録されている人物の大半は男性であることは間違いありません。しかし明治時代の前半は西南戦争、日清戦争、日露戦争などが頻発した社会情勢の影響で男性の活躍が目立ちますが、天照大神を代表として日本では女性が古代から活躍しており、明治時代も後半になり社会情勢が安定してくると次第に社会で活躍する女性が登場してきます。

 潤野(ウルノ)炭鉱を買収、加島銀行や大同生命を創業、日本女子大学を創設した廣岡浅子(一八四九〜一九一九)、鈴木商店を再興、神戸女子商業の設立を支援した鈴木よね(一八五二〜一九三八)、六歳でアメリカに留学、津田塾大学を創設した津田梅子(一八六四〜一九二九)、吉本興業を創業した吉本せい(一八八九〜一九五〇)などは有名ですが、歌人として活躍、女子教育を振興して実践女子大学を創設した下田歌子も傑出した女性でした。

幼少から能力発揮

 歌子は幕末の安政元(一八五四)年に美濃国恵那郡岩村藩(岐阜県恵那市岩村町)の藩士平尾鍒(じゅう)蔵と房子の長女として誕生し、鉐(セキ)と名付けられました。祖父も父親も尊皇の立場であったため、明治維新まで祖父は越後高田に幽閉、家督を継承した父親は自宅で蟄居謹慎とされるなど一家は不遇でした。このような失意と貧困の境遇でしたが、両親と祖母は鉐を厳格かつ熱心に教育した結果、鉐は心豊かな女性として成長していきます。

 その効果を象徴する逸話がいくつもあります。六歳のときに鉐が玩具の小銭を一生懸命貯蓄するようになったので、祖母が理由を質問すると、この金銭を役人に手渡して父親を赦免してもらうのだと返答したということです。また中国の『二十四孝』という書物に両親が蚊に刺されるのを防止するため子供が裸になって自分に蚊を集めたという逸話があり、それを学習した鉐は母親や祖母のために同様のことを実行したという逸話もあります。

 さらに祖母による俳句や漢詩や和歌などの教育の効果もあり、五歳のときに「元旦は/どちらを向いても/お芽出たい/赤いべべ着て/昼も乳飲む」という和歌を創作しています。社会の動向にも敏感で、安政五(一八五八)年に欧米五カ国と修好通商条約を締結した大老の井伊直弼に不満をもつ武士が安政七年に井伊を暗殺する事変が発生したとき、その情報を入手した鉐は「桜田に思い残りて今日の雪」という俳句を記録しています。六歳のことです。

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