• 十代の地図帳
  • 青春の記憶に生きるヒントを訊くインタビュー記事

はなさん(モデル・タレント)

 はなさんはモデル、タレントである。高校のデビュー以降、堪能な語学を生かし、教育番組からラジオパーソナリティーと幅広い活躍を続けるが、その真骨頂は異彩を放つライフワークにある。大学時代に出会ったという「仏像」。独特の間合いを持つ「お菓子作り」。祖母から受け継ぐ「茶道」――。どれも深い愛着とこだわりに溢れる。駿才の十代、その道行きを訊ねた。

横浜のお生まれですね。どんな少女時代を

 子どもの頃は、もうとにかく頑固だったようです。よく親が言っていましたから(笑い)。そんなこともあって、親はこのとき「stubborn(頑固)」という英単語を覚えたそうです。自分が思ったことはしっかりと口に出して意思表示する、そういう子だったと。

インターナショナルスクールに通っわれていたと聞きました

 2歳のときから。インターナショナルスクールは、まず「キンダーガーテン(幼児園)」に入って、「モンテッソーリ(子供の発達に最適化した教育を施す小学校)」へ。そこから小学校に上がるんです。だから小学生になるのは10歳のときですね。

その頃の思い出は

 カトリックの学校だったので、カフェテリアでご飯を食べていると、シスターが見回りに来るんです。カフェテリアには、いつも小学生が低学年から高学年までがズラリと並んでランチを頬張っている。食事のメニューは基本的に自分で注文します。

 その日も、いつものようにランチを注文すると、何やら真っ赤な飲み物が付いてきた。それは「ハワイアンパンチ」というフルーツジュースで、それをご飯の上にこぼしてしまったんです。それで、「真っ赤なご飯を食べたくない」としきりに言い張るんだけど、後ろにはシスターがキッとした厳しい顔つきで見張っているわけです。それでも「絶対食べない」と意地を張っていたらだんだん眠くなってきて。で、気づいたら寝てた(笑い)。そのときは従妹が呼び出されて。

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