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  • 過去に読書と教育の新聞「モルゲン」に掲載された記事からランダムでpickupし紹介。

清々しき人々 第19回 ポルトガルを世界に飛躍させた エンリケ航海王子(1394‐1460)

王子の村落を創設

 この野望を実現するため、遠征から帰国した一四一六年にポルトガルの国土の最南西端で大西洋に突出したサグレスという場所に「ヴィラ・デ・インファンテ(王子の村落)」という施設を建設しました。ここは一五八七年になって、有名な海軍提督F・ドレークの指揮するイギリス艦隊の襲撃によって完全に破壊されてしまったため、現在では詳細不明ですが、大型帆船の設計と建造、船乗りの訓練、地図の収集などをしていたとされています。

 大型帆船では三本マストの「カラベル」を開発しアフリカ沿岸の航海に利用しています。地図は資金を投入して収集しました。現在でも海図は外国の人間に販売しない国々もありますが、当時は国家機密でした。ドイツの作家S・ツヴァイクの小説『マゼラン』に、マゼランが世界一周を決意したのはポルトガル王室の秘密文庫秘蔵のドイツの地理学者M・ベハイムの世界地図を一瞥できたからという文章がありますが、当時の状況を象徴する挿話です。

マデイラ諸島の発見

 紀元前五世紀の古代ギリシャの作家ヘロドトスに『歴史』という史書がありますが、そこに地中海域で活躍していたフェニキアという海洋民族の船団が紀元前七世紀に紅海から出発してアフリカ大陸の東岸を南下し、南端を回遊して西岸を北上してジブラルタル海峡を通過して三年かけてアフリカ大陸を一周したと記載されています。この真偽は長年検討されてきましたが、海流や風向などから判断して実話という見解が主流になっています。

 当然、多数の文献を収集して研究していたエンリケもフェニキアの人々の航海は承知していましたが、当時の情報を収集するとアフリカ大陸の南部の土地は不毛であり、海洋は沸騰しているというような状況でした。しかし不屈の王子は挑戦を開始します。最初の契機はセウタ攻略に参戦したJ・G・ザルコとT・V・テシュイラという二人の若者がエンリケに面会し、本国は不況で生活も大変なので仕事を手伝わせてほしいと依頼してきたことです。

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