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  • 過去に読書と教育の新聞「モルゲン」に掲載された記事からランダムでpickupし紹介。

清々しき人々 第19回 ポルトガルを世界に飛躍させた エンリケ航海王子(1394‐1460)

 そこでエンリケは二隻の帆船でアフリカ西岸を南下する航海を命令しました。二隻は途中で強風のため漂流しますが、偶然にもマデイラ諸島の小島ポルト・サントに漂着しました(図3)。位置はアフリカ大陸から六〇〇キロメートルの西方でした。帰国してエンリケに報告すると、もう一隻の帆船を追加して入植するよう命令されます。ところがウサギを野放しにしたため、二年で丸裸の土地になってしまい仕方なく帰国しました。

図3 ポルト・サント島

 しかし不屈のエンリケは付近に陸地を発見するように再度航海させます。その結果、一四二四年にポルト・サントの四七キロメートル南側に奄美大島に匹敵する面責七四一平方キロメートルのマデイラ本島が発見されました。エンリケは本格開発を決断して人々を入植させ、木材の輸出とともにサトウキビやブドウを栽培させます。二五年後には八〇〇人が生活し、砂糖やワインを生産するようになります。これが有名なマデイラワイン誕生の経緯です。

カナリア諸島の発見

 さらなる発見は本国から一〇〇〇キロメートル西方の大西洋上にあるアゾレス諸島です。エンリケの派遣したF・G・ヴェーリョの船団が一四三一年に発見し、四五年頃から入植が開始されます。九島からなり、合計面積は二三五五平方キロメートルで大西洋上の中央に位置するため中継基地として発展し、現在は二四万人が居住しています。二一世紀になって紀元前二世紀までアフリカ大陸北部にあったカルタゴの人々が到来していた遺跡が発見されています。

 さらにエンリケが目指したのがアフリカ大陸から一〇〇キロメートルの沖合にあるカナリア諸島でした(図4)。ここには一五世紀初頭からスペインのカスティーリャ王国が入植を開始していましたが、エンリケは一四二五年以降、三度も軍隊を派遣して奪取しようとしますが失敗し、四八年には群島の一島であるランサローテを金銭で購入しますが、結局はエンリケの死後の一四七九年に全体は正式にカスティーリャ王国の領土となって決着します。

図4 カナリア諸島
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