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  • 過去に読書と教育の新聞「モルゲン」に掲載された記事からランダムでpickupし紹介。

清々しき人々 第24回 将軍徳川綱吉に二度拝謁した ケンペル(1651‐1716)

江戸参府旅行に随行

 日本滞在を二年に延長した結果、ケンペルは将軍に拝謁する江戸参府旅行を二度も経験することになります。江戸参府は一六三三年からの制度で、日本との貿易を許可されて出島に滞在するオランダ商館の館長は毎年一回、長崎から江戸に参上し、将軍に拝謁して品物を献上する仕組です。毎年一月にオランダの出島商館長を先頭に長崎を出発して江戸に到達し、三週間程滞在して将軍に拝謁するという制度です。

 この江戸参府は数人が徒歩で移動するような簡単な行事ではありません。大名行列ほどではないにしても、一六九一年の様子を描写したケンペルの著書の図版で計算すると、人間が一〇〇名以上、ウマが約二〇頭という規模の行列です(図4)。将軍には品物を献上する必要があり、それも簡単な土産という程度ではなく、以前、四代将軍家綱に拝謁したときには日光東照宮の家康の霊廟にヨーロッパの灯篭を献上しています。

図4 江戸参府(1691)

 ケンペルが参加した拝謁の相手は五代将軍綱吉です。綱吉は「生類憐れみの令」を発令して人間より動物を可愛がったなど暴君のように評価されていますが、実際は儒学の振興のため湯島聖堂を建立するなどの名君であり、さらに一七〇三年に関東南部に被害をもたらした元禄大地震、一七〇七年に江戸にまで降灰のあった富士山噴火などにも迅速に対処しており、ケンペルは「善良かつ公正で賢明な君主」と評価しています。

二度の江戸参府旅行

 ケンペルはオランダ商館長に随行して江戸へ移動し、一六九一年三月二九日に江戸城内で将軍綱吉に拝謁しています。場所は十分に一〇〇畳はある広大な広間で、正面に御簾があり、その裏側には将軍と正室をはじめ数一〇人の側近が列席しており、その前面にオランダ商館の一行が拝謁します(図5)。一通りの挨拶が終了すると、将軍から一行に演技を披露するようにとの要請があり、ケンペルは歌謡と舞踏を披露しています。

図5 将軍徳川綱吉に拝謁(1691)
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