『魂でもいいから、そばにいて―3・11後の霊体験を聞く―』

奥野 修司/著

新潮社/刊

本体1,400円(税別)

無念の想いを抱えたまま逝った人の魂が今も……

 例え話から始める。A君がB嬢の夢を見たとする。現代人なら、A君がB嬢を想っているから夢を見たと考えるだろう。ところが、昔の日本人は違う。B嬢がA君に何か伝えたいことがあるから、A君の夢のなかに現れたと解釈する。これを「夢枕に立つ」という。夢枕に立った人が、何かメッセージを持って現れるのである。

 本書を読み、まずそのことが脳裏をかすめた。東日本大震災で亡くなった方がたが、遺された人びとの夢枕に立つのは、そういうことではないのか。亡くなった方がたと遺された人びとは、そうやってコミュニケーションをとる。相思相愛の関係は、コミュニケーションをとることで互いに癒される。亡くなった方がただけでなく、遺された人びとの魂鎮めとなる。いや、「魂鎮め」ということばで一括りにはできない魂のふれあいが、そこにはある。
それにしても「魂でもいいから、そばにいて」とは、なんて切ないことばだろうか。しかし、その切なさは、大切な方がたを亡くした人びとすべての偽らざる想いに違いない。遺された人びとだけではない。無念の想いを抱いたまま逝った方がたの気持ちでもあったはずだ。だから、「夢枕に立つ」のである。

 本書に取り上げられている十六名の遺された人びとの「霊体験」の事実は重い。東日本大震災で亡くなったり、行方不明になった方がたは一万八千余名。だから、実はそれだけの、いやそれ以上の「霊体験」があるに違いない。「霊体験」は、遺された人びとの、唯一無二のグリーフケアとなっている。

(評・横浜保育福祉専門学校 非常勤講師 三上 晴夫)

(月刊MORGEN archives2017)

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