『灰とダイヤモンド 三宅高校野球部、復興へのプレイボール』

平山 讓/著

PHP研究所/刊

本体780円(税別)

日本特有の部活にはみえないドラマがある

「だから、だからさ、くじけることなく、諦めることなく、生きていかなければ、ならないんだよ」

 都大会を終えて三宅島へ帰る定期便の待合室。慣例となったミーティングでの、野球部監督から選手たちへの言葉である。

 かつて全国大会へ勝ち進み島民を沸かせた三宅高校野球部だが、過疎化の進行で都大会への参加、そして「一勝」が最大の目標となる。そんな三宅島の雄山噴火による全島避難。避難先の廃校での練習の継続。避難先からの大会への参加。日本特有とも言える部活にはその学年ごとの生徒たちの大小の見えないドラマがある。

 三宅高校野球部の生徒たちも同様だが、彼らは全島避難した三宅高校野球部という重すぎる境遇をも担うことになる。当たり前のように存在するはずだった練習グラウンドもダイヤモンドベースも火山灰に埋もれる。同じように彼らのそれまでの日常生活も灰に埋もれて遠いものになってしまう。しかし、教育活動を止めるわけにはいかない。そこに学ぶ者がいる以上、その機会と環境を提供するのが学校の使命である。

 教育活動は言うまでもなく「生徒の未来」のためにある。その時々の栄光のためでも、学校のためのものでも、教師のためのものでもない。どんな学校であれ、そしてどういう境遇を生徒たちが担うことになっても、冒頭の監督の呼びかけは学校で学ぶすべての生徒たちに対する共通の教育の言葉なのである。今現在、学校はどれだけの哲学を持って教育活動を創り上げているのだろうか。

 三宅高校野球部監督のこの精一杯の言葉は、日本の教育全体のあり方を照射する言葉にもなっている。

(評・東京 広尾学園教諭 金子 暁)

(月刊MORGEN archives2016)

関連記事一覧