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清々しき人々 第26回 旅行日記の秀作を発表した 井上通女(つうじょ)(1660−1738)

父親と丸亀から江戸へ旅行

 今回は関所を通過するのに大変な苦労をした江戸中期の歌人で何冊かの旅行日記を執筆している井上通女という女性を紹介します。江戸時代に旅行日記を執筆した女性は意外に多数存在し、残存しているだけでも一三〇編ほどあります。それらの記録は高貴な身分の女性だけではなく、庶民の女性によるものもあり、当時の社会全体の教育水準が高度であったとともに日本の社会基盤が整備されていたことを示唆しています。

 通女は四国讃岐の丸亀藩主の家臣である井上儀左衛門の四女として一六六〇(万治三)年に誕生しました。父親は藩内でも有数の朱子学者であり、母親も教養のある女性であったため、幼少の時代から高度な教育を享受し、八歳のときには『源氏物語』を暗唱できるほどでした。さらに一二歳になって漢籍も勉強し、自作の漢詩を江戸の当代随一の朱子学者林春斎に送付して指導されるような環境で勉強していました。

 そのような背景から通女の才能は丸亀藩京極家の江戸屋敷でも評判になり、二二歳になった一六八一(天和元)年に江戸に生活する丸亀藩主京極高豊の母堂の養性院の侍女として出仕することになりました。そこで一一月一六日に家族や友人に見送られて父親とともに江戸に旅立つことになります。丸亀から帆船で三日をかけて、たまたま荒海であった瀬戸内海を横断して大坂に到着し、ひとまず丸亀藩邸に滞在します。

 大坂では奉行所から東海道の途中にある新居関所と箱根関所の通行手形を入手します。これが面倒の原因になりますが、それは関所に到着してからのことです。大坂からは、まず淀川を川船で遡行して淀宿に到着します。淀川を遡行するのは両岸から人手で川船を牽引するので二日がかりの船旅でした。淀宿からは京街道を徒歩で移動して京都に到着、数日滞在しますが名所見物もせず、江戸を目指して東海道を進行します。

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