清々しき人々 第26回 旅行日記の秀作を発表した 井上通女(つうじょ)(1660−1738)
冬季のため松明を使用して早朝から京都を出発し、二日をかけて桑名宿(三重県桑名市)に到着、ここからは小船で「七里の渡」といわれる海上航路を利用して夜中に宮宿(名古屋市熱田区)(図1)に到着します。睡眠もそこそこに夜明けとともに出発し、在原業平の故事で有名な八橋は面影もないとのことで通過、赤坂宿(愛知県豊川市)で一泊、翌朝も早朝に出発して午後二時に問題の新居関所(静岡県湖西市)に到着しました。
新居関所の通過で大変な苦労
ここは開府以前の一六〇〇(慶長五)年に家康が直轄の関所として創設、約一〇〇年間は幕府から派遣の新居奉行が管理していました。別名「女の関所」との呼名もあり、江戸から到来する「出女」だけではなく、江戸を目指す「入女」も監視するため女性の難関でした。そこで手前の御油宿や吉田宿の周辺から脇道へ進入し、浜名湖の北側を大回りして浜松宿や見附宿へ到達して新居関所を回避する旅人も多数いたようです。
当初、関所は現在よりも東側に位置していましたが、一六九九(元禄一二)年の高潮で被災して移転します。ところが、その建物も一七〇七(宝永四)年の富士山大噴火を原因とする地震と津波によって倒壊し、翌年になって現在の位置に再建されました。その建物もさらに一八五四(安政元)年の安政東海地震で倒壊し、翌年再建された建物が国指定特別史跡として現在まで保存されているという因縁のある建物です(図2)。