• 十代の地図帳
  • 青春の記憶に生きるヒントを訊くインタビュー記事

安部 龍太郎さん(小説家)

 作家・安部龍太郎さん。デビュー以来、数々の作品を生み続ける歴史小説の名匠だ。2013年、中世の絵師・長谷川等伯の生涯を描いた『等伯』で直木賞を受賞後も、精力的に執筆を続けている。若き日、志した小説家の道、社会小説への傾倒、インドで獲得した感性、歴史小説への想い、それらすべての核は何か――、高専から始まる異色の道程を訊いた。

幼い頃の環境は

 熊本との県境にある福岡県八女市の長閑な山あいの街で少年時代を過ごして。その頃は、本を読む習慣はあったものの、それはあくまで周りと同じ通り一遍の読書で、とくに文学少年だったということではなかったですね。

高校は理系の進路選択を

 高校からは、高校・専門一貫の5年制の国立久留米工業高等学校機械科に入学しました。エンジニアの育成を目的とした学校ですから、当然カリキュラムも理工系のものばかりでしたね。でもこのくらいの年頃にはまだ自分の適性や方向性は大抵見えないものなんです。理系浸けの日々を送るうちに、「ああ、これは自分に向いてないな……」と次第に気付いて。

文学を目指すきっかけは

 高専の3年に進級した頃、いろんな行き詰まりがいっぺんにやって来たんです。それまで懸命に打ち込んでいたラグビー部を鎖骨の骨折で辞めざるを得なくなり、同時に失恋も経験した。そんなやり場のない気持ちに悶々としていた時期に、浅間山荘事件、三菱重工爆破事件と全共闘運動の終焉を告げる事件が立て続けに起こったんです。

 僕は左翼の思想家たちと特別、関りがあったわけではないけれど、同じ時代を生きる中で少なからず共感するところはあった。そんなことから、自分自身、この先どう生きるべきか真剣に考えはじめて。(このまま4年生、5年生と進級して企業に就職する、果たしてそれでいいのだろうか。一度、立ち止まってしっかりと考える必要があるんじゃないか……)そんなふうに考えたんですね。それで1年間休学を取ることにして。

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