• 十代の地図帳
  • 青春の記憶に生きるヒントを訊くインタビュー記事

依田 司さん(気象予報士)

そのころの夢は

 僕はもう小学校のときから「お天気おじさん」になりたいと思っていたんです。子どもの頃、毎年、依田家の一大イベントで「海に出かける」というのがあって。やっぱり海に行くとなると天気が気になるじゃないですか。それで、子どもながらに旅行前日の夕方は、テレビのお天気情報を食い入るように見つめていた。

 明日晴れるけど夕方から雨が降るってお天気おじさんが言ってるナ――。そう思って海に行くと、本当に日が暮れるころに天気が崩れてくる。「ホントに当たったよ、これは凄い」と感心するんだけど、よくよく考えてみると、そもそもなんで今日のことが昨日分かったんだろう……、と気づいて。それってつまり未来のことじゃないですか。凄いぞ、お天気おじさんて未来のことが分かるんだ……、って子ども心に物凄くトキメいて。その憧れをずっと暖めてブレずに来た感じですね。

理系好きも後押ししたのでしょうか

 そうですね。空や雲の図鑑も持ってたし、昆虫も大好きだった。あとは植物も好きで……、そういう意味ではやっぱり典型的ですよね。一軒家だったうちの庭には、色んな植物が植わっていて。それを丹念に図鑑と見比べて覚えては、学校で先生の前なんかで言うと、感心されて「植物博士」とか呼ばれたりしていました。

進路と夢はどう交差を

 気象予報士になるにはどうしたらいい——とか、そういうのはどうせ誰も教えられないと僕も誰にも話さなかったんです。だから、中学高校とごく普通の進路でしたね。夢と進路を意識しだしたのは大学受験のとき。どこに行けばお天気の勉強ができるのかとひとり調べはじめた。

 でも、いざ探してみるとお天気を勉強できる学部ってあまりないんですよ。天気は地球物理学なので、そういうのをやってるところとなると、筑波大の上位学部や、それこそ東大しかない。当然、そんなところに入るような勉強はしていないから、これはイカンぞと大学案内の端まで目を光らせると、東海大学に海洋学部というのがあって。受験はもうそこしか受けなかったですね。

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