• 十代の地図帳
  • 青春の記憶に生きるヒントを訊くインタビュー記事
志尊淳

志尊 淳さん(俳優)

 俳優・志尊淳さん。いまをトキメく芸能界の若きアイコンの一人だ。テレビドラマ、舞台、映画に活躍を続ける駿才の次なる舞台は…、ヤンチャだった少年時代、白球を追った青春のころ……、十代の軌跡を訊いた。

どんな少年時代を

 もう超キカン坊主で。あとで両親から「相当手を焼いた」と聞かされました。親たちは、「そんなにエネルギーが余ってるんなら、とにかくやりたいことを全部やらせよう」と考えたようで、当時ハマっていた野球をはじめ、剣道、サッカー、水泳……、と沢山のスポーツをやらせてくれました。

その頃はどんな遊びを

 毎日、街に夕暮れのチャイムが響くまで、泥んこになって遊んでいました。テレビゲームとかは一切しませんでしたね。家は東京のごく普通の家庭だったけど、いわゆる〝家遊び″はあまり好きじゃなくて。テレビゲームをしている子がいれば、みんな外に連れ出して鬼ごっこをしたり……。そういうことばかりしていました。

中学時代の思い出は

 中学は野球部に所属しました。そのころの夢はプロ野球選手になることで、土ぼこりの舞うグラウンドで、一生懸命白球を追いました。でもあるとき、プロを目指すのと、学生レベルでの活躍の違いにふと気づいて。抽象的だった目標が、次第に現実的になっていく中で、「いまのままじゃ到底プロになれない」と思った。それで諦めて……。

白球の夢破れ、次の目標は

 目指すべき目標が見つからないでいたとき、芸能事務所の方々にスカウトされたんです。でもそれで、じゃあ芸能事務所に入ろう、という気にはならなかった。芸能界を知らないし、やっぱり怖い……。なにより、自分に何も能力がないまま入るのは、社会人として筋が通っていないと思った。で、可能性があるならば、まず養成所に通わせてほしいと申し出たんです。それで15のとき養成所に通うことになった。

スカウトされたとき心境は

「まさか自分が」ですよね。そんなの絶対あり得ないと思っていたので。当時、ちょうどスカウトされ始めたのが、高校生になったくらいのころで。それまで東京の、いわゆる栄えているところにはあまり行かなかったんです。で、行ったときにスカウトされる機会が増えて。「やっぱり渋谷、原宿では一杯スカウトしてるんだなあ」なんて感心して名刺の裏側を見たら、沢山の知った名前があった。俳優、女優、タレント……、並んだ印字一つひとつが輝いて見えた。

ご両親に相談は

 それはもちろんしました。二人とも最初は、「まさか」という反応でしたけど、僕の本気の様子を見ると、「淳が本気なら」と認めてくれた。昔から僕は、何か一つこうと決めたら、それに対して探求してトコトン突き詰めたい性格なんです。一たび扉を開いて一歩足を踏み出したからには、しっかりと自分なりに歩いていきたい――、僕の眼のなかの「やる」という決意を両親は読み取ったんだと思います。

芸能界に入った決め手は

 大きな理由があったわけではないです。とにかくそのときやることがなくて……、そんなとき、ちょっと興味惹かれるものが出て、みたいな感じでした。

それで芸能を志して

 それは実はいまも決めてないんです。予め先を見据えて進むよりも、いまを大切にしたいと思うタイプの人間なので。いまを大事にし続ける中で、いろんな出会いや巡り合わせがあって、こういうお仕事をさせていただいています。常に自分に正直に生きていきたいので、これからもいろんな可能性があるかもしれません。

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