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牛窪 多喜雄

牛窪 多喜雄さん(柔道家、接骨院、市議会議員)

 柔道家、接骨院、市議会議員、ある日にはギターを携えて講演へ赴く。精力的に活動する牛窪多喜雄さんの傍らにはいつも、面差しの優しいレトリバー(盲導犬)の姿がある。怖いものなど何一つなかった青春の日、突如、視界に映る世界は形を失った。それから40余年、「人間の命は限られている。だからその日その日を充実し楽しく過ごしたい」――過酷な運命を力に変え続ける、強きしなやかな精神を訊ねた。

 牛窪さんが育ったのは埼玉県川越市。男ばかり6人兄弟の末っ子として一家に迎えられた少年は、生来視力が弱く、物心つく頃には、球技は無理だろうと、相撲ばかりとっていた。かといって不遇を呪う事は決してない。母を悲しませたくない……、大人になった今でも最も大切にする気持ちが、小さい背中をしっかりと支えていた。出来る事をしていこう――、そう懸命に五感を研ぎすますと神経衰弱や将棋では負け知らずだった。

 一生の道しるべに出会ったのは中学1年のときだ。当時流行する漫画『姿三四郎』に憧れ、柔道をはじめた。とはいえ柔道がオリンピックの正式種目に決まるのは昭和39年のことだ。国体の存在も知らない無邪気な少年の目下の目標は「正義の味方」――。強くなって悪いやつをやっつけるぞ、と意気込む。相撲で鍛えた身体能力はすぐに頭角を顕わし、高校ではキャプテン、大学も柔道の推薦で入学を決めた。卒業したら柔道に携わる仕事に就こう。体育の教員がいいだろうか……、ぼんやりと将来も意識し始める。そんな当たり前の日常が突然崩れ去ったのは大学時代のある日のことだった。唐突に霧に呑まれた視界は、それきり二度と戻る事はなかった。手術をすれば治りますよね――震えながら問いかける唇に、「リスクは取れない。失敗すれば完全な暗闇になる」そう言って医師は首を振る。青年が大きなショックを受けたのは言うまでもない。それから半年間、自室に引きこもると寝てばかりの生活を過ごした。

 しかし、どんなに辛くても朝は始まり、夜がやってくる。侘しくてもお腹は空く。寝てばかりの生活に反して、三度の食事に、しっかりとした挨拶のある規則正しい生活は、教育の賜物だろう。そうして寝るばかりの生活を続けるうち、あるとき大事な事に気付いた。もうこんな生活には飽きた、何も見えない、何も出来ない、そう思い込んでいたが、出来る事があるんじゃないか——。ふと手近にあったギターを引き寄せ弾いてみる。ポロン……。潤いのある音がした。

 それから毎日ギターを弾くようになった。後で母に聞いてみると6時間も7時間も平気で弾いているという。ある晩、食卓につくと、トンカツが並んでいた。昭和の時代、トンカツは特別だ。なんでこんなご馳走が並んでるのか……、怪訝な顔をすると、母は一言、「お前が元気になったからよ」。その言葉を聞いた途端、全てを理解した。そうか、これまで何も言わなかったのは諦めていた訳じゃなかったんだ。ずっと見ていてくれたんだ。じゃあ俺もなんとか生きよう、強い想いが全身を駈ける。その日のうちに大学を辞め、『東京ヘレンケラー学院』――中途失明者がマッサージを学ぶ職業訓練校に通う事を決めたのだった。

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