• 十代の地図帳
  • 青春の記憶に生きるヒントを訊くインタビュー記事

ウスビ・サコさん(教育者)

その頃の学校生活は

 その頃は、学校ではフランス語で学んで、帰ってくると自分の地域の民族言語に戻るという生活でしたが、正直なところ学校生活には実態を感じていませんでした。というのもフランスの生活様式や考え方を教えられたところで、そのベースになるものがこちらには何もないんですよ。だからもうまったくのイリュージョンなわけです。

 岐路になったのは、当時、私が通っていたのは私立のカトリックスクールだったんだけど、小学校4年のとき、親戚筋から物言いがついたんです。

「こんなところで過ごしていたらろくな大人にならない」って言われてね。

それで田舎の親戚で学校の先生みたいなのをやっている家に預けられた。そこで中学校卒業までを過ごすんだけど、それがもう凄い生活で……。

毎日、炎天下を数キロも歩いて学校まで通わなきゃならないし、水道もないから水が欲しければ井戸に水を汲みに行かなきゃならない。夜はオイルランプの灯りを頼りに勉強するんです。そんな生活が苦痛で、何回も都会の父に宛てて「苦労とは何か」という陳情の手紙を出しました(笑)。

家には自転車が何台もあったけど、父は頑として送ってはくれなかった。自転車を贈ればそれで私がフラフラとどこかへ行っちゃうと思ったのでしょう。まったくどれだけ信用がなかったのか(笑)。

勉強に目覚めたきっかけは

 結局、大人が自分に期待しているのは勉強だな、というのが分かったんです。逆にそれさえしておけば後は放っとかれるというのにも気付いて。それで、まずはとにかく勉強をして、それ以外の時間を思いっきり遊ぶというふうに切り替えた。

 つまり、別に勉強が好きになったとかそういうことじゃなくて、勉強と言うのは自分にとって生きるための一つの義務のようなものだと諦めたわけですね(笑)。ただ、勿論それによって選択肢も増えたし、なにより自由が手に入るというのはありましたね。

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