• 十代の地図帳
  • 青春の記憶に生きるヒントを訊くインタビュー記事

真藤 順丈さん(小説家)

小説家を志すのはいつごろ

 映画監督を目指していたころ、文学部にいたこともあって小説の習作をいくつか書いていた。それをゼミの先生に見せたところ、なかなかの評判だったんです。それが成功体験としてずっと残っていた。後は、映画を作るとき脚本を書くわけですが、僕はどちらかというと、セリフを書くよりもト書きを書く方が得意だったんです。ト書きを書いているとバーっと筆が走って、ひとりでに膨らんでいっちゃう。で、それって要するに小説なんですよ。これはもしかすると、小説の方が、なんの制約もなしに自分のやりたいことを存分にやれるんじゃないか、と思った。映画活動が頭打ちになる中で、ちょっと本腰を入れて小説一本で勝負してみよう、と。それで映画をキッパリと辞め、小説家デビューの前段階、賞レース目指してひたすら書き続ける「投稿時代」に入ったんです。

チーム戦から個人戦に。孤独感など苦労は

 今までとは一転、小説づくりは一人の勝負です。当然、自分自身だけとのやり取りになってきますからね。でも、何の制約もしがらみもなしに目の前のことに没頭できるというのは、逆に嬉しかったというか。自分には向いていたと思いますね。

暗中模索に将来への不安は

 それほどなかったように思います。20代後半に差し掛かる頃でしたが、何か根拠のない自信に満ちていて。でも、この無根拠な自信はデビュー後に大きく崩れることになります。30代になってからは結婚して子どもも生まれたので、なおのこと専業作家として続けていけるのかという自問はたびたび重ねましたね。

ご両親の反応は

 作家にはなれたものの、鳴かず飛ばずの日々が続いた。当然、両親は「大丈夫かコイツ」と心配していたと思います。だけど有難いことに、発表した作品に反響があったり、原稿依頼が途切れることもなかったので、「家事もちゃんとやりつつ小説も書いていきなさい」というスタンスは変わりませんでしたね。

 妻とは作家になる前からの付き合いで、映画を一緒に撮っていた仲間だったんです。妻からすれば、″自分の見込んだ男がコンペに入選する″という成功体験があったから(笑)。そんなこともあって、しんどい時期も見限られないですんだんだと思います。

続きを読む
3 / 5

関連記事一覧