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  • 過去に読書と教育の新聞「モルゲン」に掲載された記事からランダムでpickupし紹介。

清々しき人々 第31回 日本に登山を根付かせた ウォルター・ウェストン(1861−1940)

宗教行事であった日本の登山

 一九二四年にエベレストの頂上を目指すイギリスの遠征の隊員として参加し、頂上付近で消息不明となったG・マロリーは生前に「なぜエベレストを目指したのか」と質問されたとき、「そこにエベレストが存在するから」という有名な返答をしたことが記録されています。この言葉が象徴するように、西欧社会の登山は未開の土地を探検するのと同様に、未踏の高山に挑戦するということを目標としてきました。

 一方、日本では多数の山々は山岳全体が神体であり、それを山麓の里山と背後の奥山に区分し、里山は植物を採集し、動物を狩猟する場所として人々が日常生活で利用する一方、奥山は神聖な空間として山頂には神社を造営し、特別の時期にだけ入山して参拝する場所とされてきました。そのため山麓には拝殿を造営し、日常は山麓で参拝するというのが日本の伝統でした。この伝統が現在でも存続している山々は多数存在します。

 筆者は山形の出羽三山で出羽修験を何度か体験したことがありますが、早朝に谷川で沐浴して白衣の装束に着替え、最初に羽黒山頂にある出羽三山神社に参拝、そこから登頂して月山山頂にある月山神社本宮(図1)に参拝し、最後に湯殿山神社本宮に参拝するという行程でした。かつては女人禁制でした。これらは出羽三山だけの伝統ではなく、日本の高山の大半が神々の存在する特別な空間として、このように維持されてきました。

図1 月山神社本宮

 ところが幕末から明治にかけて西洋の人々が日本に滞在するようになり、この伝統が崩壊していきます。一例として一八五九(安政六)年に来日、初代駐日公使となったイギリスのR・オールコックは日本国内を自由に旅行する特権を誇示することも目的に、翌年九月に富士登山を実行します。山頂では火口に礼砲を発射、イギリス国歌を斉唱、女王陛下を祝福してシャンパンで乾杯するなど、日本の伝統を無視するような登山でした。

 来日した外人が打破した日本の伝統は登山の目的だけではなく、女性の登山を可能にしたことです。オールコックの後任として一八六五年から駐日大使になったH・パークスは一八六七(慶応三)年に夫人を同伴して富士登山をします。それまで干支が六〇年に一度の庚申の年にのみ、日本の女性も中腹まで登山を許可されていましたが、パークス夫人の登山を契機に、明治政府は一八七二(明治五)年に女人禁制を解除します。

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