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  • 過去に読書と教育の新聞「モルゲン」に掲載された記事からランダムでpickupし紹介。

清々しき人々 第31回 日本に登山を根付かせた ウォルター・ウェストン(1861−1940)

登山をスポーツにした英国男性

 このような時代の変化を背景に、それまで宗教行事であった日本の登山をスポーツに変化させたイギリスの男性が登場しました。その人物ウォルター・ウェストンを紹介します。ウェストンは日本では江戸末期になる一八六一年にイギリス中部の都市ダービーに工場を経営する家庭の六男として誕生しました。地元の学校で初等教育を修了してからケンブリッジ大学クレア・カレッジに入学し、学士の称号を獲得しています。

 そこを修了してイングランド国教会の一派であるアングリカン・チャーチの司祭となり、一八八八(明治二一)年にイングランド国教会から宣教師として日本に派遣されます。イギリスの汽船「ロンバーディ」に乗船して長崎に到着し、そこから一旦、大阪に移動して、再度、長崎、熊本を経由して翌年一二月に神戸に到着してユニオンチャーチの牧師に就任しますが、その本業よりも熱中したのが登山でした。

 イギリス本国には高山がなく、最高がスコットランドのハイランド地方にある標高一三四四メートルのペン・ネヴィスであるため、登山に興味のある当時のイギリスの人々はヨーロッパアルプスを目指すのが一般でした。ウェストンも来日する以前の一八八五年から八六年にかけてマッターホルンやヴェッターホルンなどに登頂していましたし、学校ではマイル競走で学校記録を樹立するほどの運動能力も発揮していました。

 そのようなウェストンにとって各地に三〇〇〇メートル級の高山が存在する日本は魅力ある国土でした。神戸に定住した翌年の一八九〇(明治二三)年に九州の阿蘇山、祖母山、霧島山、日光の白根山、さらに富士山にも登頂しています。以後も、九四(明治二七)年に一旦帰国するまでの五年間に、富士山に二度、北アルプスの槍ヶ岳に二度、笠ケ岳に三度、常念岳、乗鞍岳、白馬岳、南アルプスの赤石岳など三三座に登山しています。

 驚嘆すべきことは、これら三三座のうち、外国の人間として最初に登頂した高山が九座もあることです。このような実績が評価され、ウェストンは一八九三(明治二六)年にイギリス山岳会「アルパインクラブ」に入会が許可されました。その申請書類には九〇年から九二年にかけての三年間に日本で登頂した一六の山々が記載されています。富士山には毎年一回登山しており、そのうち一回は残雪のある五月の登頂です。

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