「わたしのマンスリー日記」第17回 「死なないでください!」

子どものために学ぶ教師たち

 メッセージの送り主は鹿児島市内の小学校で教頭職を務めている山口小百合という先生でした(以下、ご本人の同意を得た上で「山口さん」と呼ばせていただきます)。山口さんは私の生き方に触れて「人生の最大の岐路」に立たされていた状況を乗り越えることができたと感謝しているのですが、そのことを述べる前に、どのようにして山口さんと出会ったかを語る必要があります。
 私が本格的にFacebookで交信するようになったのは、2年ほど前からですが、Facebookの交信によって私の交流範囲は爆発的に拡大していきました。連日数件の友達リクエストが国内外から舞い込み、それにまともに対応していたら、あっという間に友達の数が800人にも膨れ上がってしまいました。しかし、新規の友達の多くが「日本のどの都市に住んでいますか」「そちらの天気はいかがですか」というレベルのもので、それ以降リクエストは無視することにしました。正直そのような会話にお付き合いする余裕はありません。
 巷ではSNS上での詐欺事件も報じられていますし、何よりパソコンに強いヘルパーの高橋恵美子さんが何気に言ってくれた「若い綺麗な女性からのリクエストには気をつけた方がいいですよ」という忠告を守っているお陰で、被害には遭っていません(笑)。

 山口さんと友達になったのは1年以上前のことです。「共通の友達」を開いてみたら私の信頼できる教育界の友人がずらり並んでいたので、安心して友達になった記憶があります。
 Facebookの山口さんの写真を初めて見た時、「おや!?」というインスピレーションが走りました。しばらくはそれが何によるものなのかわかりませんでした。しかし、小学校の先生だと知って謎が解けました。それは「この先生はできる。子どもたちの心に寄り添える教師だ。子どもたちからも好かれているに違いない」と直感したのです。
 それは当たっていました。そんなことがなぜ可能だったのかを、説明する必要がありますね。
 近年の著作では奥付のプロフィール欄に「作家」とか「地名作家」と書くことが多くなりましたが、もともと私は教育学者でした。千葉大学から筑波大学に至るまで私は一貫して社会科教育を基盤にした研究者で、メインの仕事は小中高等学校の社会科教師の教員養成と、大学の社会科教育の研究者の育成でした。私の教え子や弟子たちは全国に数えられないほどいて、それぞれ活躍しています。
 ちなみに、私の地名研究は千葉大学時代に学生たちと社会科の授業開発をしたことに始まったもので、地理学や歴史学、民俗学などを生半可に応用した地名研究とは根本的に異なっています(失礼ながら)。私はそのことを誇りに思っています。その背景には日本民俗学の始祖である柳田國男の学問論と教育論があるのですが、これについては機会を改めてお話しすることにしましょう。いずれにしても、私の地名本がわかりやすく面白いと評されるのは、地名研究が〈教育的ニーズ〉に基づいているからです。
 1987年に私は全国の教師を対象に「連続セミナー 授業を創る」という会を組織し、授業づくり運動を開始しました。若い教師たちに学びの場を提供し、共に成長しようというのが運動の趣旨でした。
 私はこの運動のためにあらゆる手を尽くしました。この会発足後に小学校低学年に「生活科」という新教科が設置され、その授業づくりにも手を伸ばしましたので、大忙しとなりました。この運動に加わってくれた教師たちは、例外なく「子どもたちのために学ぶことをいとわない教師」でした。
 山口さんに感じたインスピレーションとは、まさにこの連続セミナーの教師像に重なるところから発したものでした。

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