• 十代の地図帳
  • 青春の記憶に生きるヒントを訊くインタビュー記事
斎藤ちはる

斎藤 ちはるさん(テレビ朝日アナウンサー)

そのころの将来像は

 大学も終盤に差し掛かり、卒業後の進路を考えたとき、アイドルは、やっぱり20代の間くらいが限界だろうと。で、じゃあ、それ以降の仕事は何をしようと自問したんです。そうすると、やっぱりテレビに関わる仕事がしたいなと思った。一般に、テレビ関係となると、女優、モデル……、様々あるんだけど、私は、それよりもっとテレビに密接な仕事がしたくて——。折しも、丁度そのときアナウンサー試験が始まる前だったので、そこを照準にアナウンススクールに通い始めて。

アイドル活動で一番の思い出は

 ライブのとき、舞台から見る光景ですね。何万人というファンの方々を前に、ステージでパフォーマンスを披露する——、これはもう一生出来ない経験だったと思うので。そこに至るまでのメンバーとのリハーサルや、裏方さんを含め、色んな方と協力して作り上げていく過程にも、強い一体感を感じましたし、いざステージが始まると、客席には、本当に沢山のファンの方々の笑顔が迎えてくれて。それがスゴい活力になっていましたね。

一番辛かったことは

 乃木坂46には「選抜メンバー」という制度があって、シングルCDが出るたびに、メンバーの顔触れが入れ替わるんです。この選抜に選ばれることが重要で、もし漏れると、「アンダー」という別のチームで活動することになります。新曲を出して、ステージに上がり、スポットライトを浴びるのは選抜だけですから、選抜とアンダーでは、露出度や活動に大きな差があるんです。ところが、私は、この選抜に入れない期間がスゴく長くて。当然、そこが一番の苦労と言うか……、苦い思い出ですよね(笑い)。私はなんとか平気でしたが、中には、選抜落ちで精神的に不安定になるメンバーもいて……。そういう意味で、励まし合えるメンバーや、支えてくれる家族がいなければ、一人ではやってこられなかっただろうなと思います。

選抜から漏れ、アイドルを辞めたくなったりは

 もちろん、そういう気持ちになるときもあったけど、同時に、今、ここでやめても自分の中に何も残らないだろうな……、と思って。もう少し頑張って続けていって、何か手応えというか結果というか——、次につながる何かを掴むまでは頑張ろうと、また元気を奮い起こしていました。そんな私に両親も、「大丈夫だよ」と事あるごとに声を掛けてくれて。「報われないときでも、ちゃんとあなたを見てくれている人がいるからね」と言って、励ましてくれました。

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