志賀勝明さん(元漁師・「鈴木安蔵を讃える会」会長)

 世界にも稀有な平和憲法「日本国憲法」、その原案の一部を担ったのは実は日本人である。憲法学者の鈴木安蔵は、マルクス主義の立場から大日本帝国憲法を検証、戦後、憲法研究会に参加すると「憲法草案要綱」をまとめた。この草案がGHQが発案した現行憲法の一部にその名残をみせているというわけだ。

 その生家がある福島小高町で、昨年「鈴木安蔵を讃える会」が発足した。目的は記念館の築造と、時代とともに改憲が取り沙汰され始めた日本国憲法に再びスポットを当てること。会長を務める志賀勝明さんは、漁師として人間として長く地元を見つめてきた。かつて原発利権にも敢然と向き合った義人に憲法にかける思いを訊いた。

「鈴木安蔵を讃える会」結成のきっかけは

 被災この方、私は小高の街を案内してきたんです。被災した小学校から防災公園をぐるっと廻り、最後に鈴木安蔵の生家に辿りつく。元々「九条の会」(日本がその武力と戦争を永久に放棄すると定めた第9条と日本国憲法の改定阻止を目的とした社会運動団体)の会員だったし、津波と原発に破壊された街の姿とその誇りを知ってもらおうと、そんなことを5年ばかりやって来た。案内した人数は述べ4400人にも登ります。震災の前まで安蔵さんの生家には、安蔵さんのお姉さんが暮らしていて、それが震災で避難することになり、今は横浜に住んでいる。もう向こうに家も建てたし、小高には戻らない、維持するのも大変だというので生家をとり壊そうという話になったんです。その話を安蔵さんの義理の姪御さんから聞いて、思わず地元の誇りの喪失に、「何を勝手言っとる」と激高しかけたけども、なにしろ個人の問題だからどうしようもない。仕方なく、元福島大学の学長だった吉原泰助さん、安蔵の教え子で立正大学の名誉教授の金子勝さんらに相談すると、「これは困ったな、地元でなんとか頑張って残してもらいたいよ」とこう言われる。そう言われても何も思い浮かばず、今度は、原町の「九条の会」の平田会長、当時の市長だった桜井市長に話を持ち掛けると、「分かった、協力するから」と言ってくれて。それから少しあって文科省に文化財として登録されたという報告があったんです。で、なんとか残るのには決まったわけだけど、今度はそれをどう維持していくかという問題が出て来た。私としては、そこまでお膳立てすれば後は市がなんとかしてくれると思っていたわけだけど、当てが外れたかたちです。仕方なく再度、吉原、金子両先生に相談すると、それじゃあ組織を作ろうとなった。名称は「鈴木安蔵を讃える会」がいいだろう、と。それで発足して。

活動をはじめてみて、周りの反応は

 最初、福島民報で取り上げられたときは、やっぱり地元の反応は鈍かったですね。でも、それが東京新聞で取り上げられるとたちまち火がついて。とはいえ、日本国憲法の原案を作った「鈴木安蔵」という名前は、大抵の教科書には出てこないので、そこは難しかったですね。現行の教育では、小学校の高学年になると「基本的人権の尊重」をはじめとした日本国憲法の特徴は習うけど、その大元に関わった日本人のことには一切触れない。だから当然、誰も知らないんです。知っているのは、大学の教授か弁護士の先生たちだけで、それ以外の人たちはまったく知らない。私はそれを小高の街を案内しながら痛感して……。この活動の本質はそこで、今の素晴らしい憲法の原案を書いた日本人のことを、もっと多くの人に知ってもらいたいわけなんです。

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