佐藤 敏郎さん(小さな命の意味を考える会代表、スマートサプライビジョン理事・特別講師)

 2011年3・11東日本大震災が起きたあの日、宮城県石巻で未曾有の惨劇が起きた。地震から50分余り、川を遡上した津波は石巻市立大川小学校の児童・74名、教員10名の命を飲み込んだのだ。渦を巻く波に粉々に粉砕された校舎は衝撃的なまでに痛ましく、見る者の心をも引き裂いた。この事故で幼い娘を失った佐藤敏郎さん(当時・女川第一中学校国語科教諭)は、事故後も瓦礫の街で教鞭を執り続けた。街ぐるみで被災した子どもたちの心を俳句に託した授業は今も語り草だ。

 その後、少しずつ悲劇と向き合い始めると、「小さな命の意味を考える会」を立ち上げ、共同代表を務める「大川伝承の会」では、あの日の出来事を伝承する語り部ガイドも続けている。現在は教員を辞し「NPOカタリバ」に参加。

「ここに来ると娘に会える気がするんです――」

 ガイドを終えた小学校の校庭で、遠く一点を静かに見つめる義士の今を石巻に訪ねた。

俳句の授業を始められた経緯は

 あの授業は外部の団体からの提案でした。震災後、最大の被災地の一つである女川の学校には様々な取材やプロジェクトの申し入れがありましたが、ほとんど断っていました。あまりに数が多かったし、目的やビジョンが不明瞭なものも目についた。でも、この授業はやることになって、国語科の私が任されました。正直なところ私は気が進みませんでしたた。「今の気持ちを五七五に」なんて言うけど、この状態を言葉にさせてはいけないと思ったのです。まず、私自身が現状を受け止め切れていなかったのかもしれません。

 女川の場合、子どもたちはほぼ全員が被災していて、誰もが家族、親戚、近所の人といった身近な人を亡くしている。目をそらそうにも、どこを向いてもガレキの山が目に入るし、大部分の生徒の帰宅先は避難所です。いずれは向き合う必要があるにしても、どうするのが正解なのか分かりませんでした。

 校長は、向き合わせる機会としてこの授業をすることに決めたんですね。で、「国語の先生やってください」と。

俳句の授業を通して感じたことは

 本当に直前まで、いや教室に入ってからも、どんな授業にするか迷っていました。怖かったという方が合っているかも知れません。だから「必ずしも津波のことじゃなくていい。スポーツやテレビのことでも、サラリーマン川柳でもいい。書きたくない人は書かなくていいぞ」と呼びかけました。

 「始め」と言ったときの生徒の様子は、今でも忘れられません。すぐに書き始めたんです。すぐに五・七・五と指折り数えて言葉を探し始めました。魔法がかかったみたいでした。私の授業でこんな集中した生徒は見たことなかった(笑)。もしかしたら待っていたのかもしれません。どのクラスも全部そうなんです。

 子どもにどう向き合わせるか、それはすなわち、大人がどう向き合うかなんだと、今は思います。

子どもたちの作品を前にどんな思いを

 どんな句を書いているんだと机をのぞいてみたら、「故郷を 奪わないでと 手を伸ばす」「ただいまと 聞きたい声が 聞こえない」「みあげれば がれきの上に こいのぼり」なんて書いていました。もう、説明は不要ですよね。

 「見たことない 女川町を」と書き始めた子がいました。五七五ですからあと「五音」しか残っていない。いろんな五音の言葉があります。「見たことない女川町を」・・・「悲しいな」とか「頑張るぞ」「くやしいな」。いろいろある中でこの生徒は「受け止める」と書きました。「受け入れる」ではなく「受け止める」です。

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