清々しき人々 第9回 世界で最初に麻酔を開発した 華岡青洲

古代から存在した麻酔

 南米大陸西側のアンデス山脈の高地に一五世紀から一六世紀にかけて存在したインカ帝国の遺跡から、頭部に穿孔した多数の頭骨が発掘されています。高度な技術により頭部を手術した痕跡で、そこでは患者に麻酔をかけるため常緑植物のコカノキから抽出したコカインが使用されていました。しかし、麻酔の技術ははるか以前から存在しており、古代のメソポタミやエジプトでは阿片や大麻による麻酔も実施されていた記録もあります。

 一例として、五〇〇〇年以上前にメソポタミアで生活していたシュメールの人々が粘土板上に記録した内容にはマンドレイクやヒヨスなど麻薬成分を含有する植物の名前が記載されていますし、三五〇〇年以上前の古代エジプトのパピルスに記載された文章には七〇〇種以上の薬草の名前が記載され、鎮痛作用のある植物も登場します。一八〇〇年前に活躍した華佗という中国の医師は世界で最初に麻酔を発明した人物とされています。

英国王室が突破した麻酔使用

 しかし西欧社会は麻酔の開発に出遅れます。それは聖書の影響です。一八四七年にエジンバラ大学のG・シンプソン教授が麻酔を使用する無痛分娩を発表したところ、キリスト教会が反対しました。『旧約聖書』「創世記第三章」に神様がイヴに「あなたは苦しんで子を産む」という文章があるという理由です。しかし教授は「創世記第二章」に、アダムを睡眠させ、その肋骨からイヴを誕生させたと麻酔を想像させる記載があると反論し論争になりました。

 しかし、この論争はあっさり決着しました。一八三七年に一八歳で即位したハノーヴァー王朝のヴィクトリア女王(図1)は生涯に四男五女を出産しますが、五三年に四男のレオポルド王子を出産するとき、侍医のJ・スノウの判断で、クロロホルムを使用した無痛分娩を採用したからです。イギリスのキリスト教会の最高の地位はイギリス国王ですが、その国王自身が麻酔を使用したため、教会は反論できなくなったという結末です。

図1 ヴィクトリア女王(1819-1901)

アメリカで実現した麻酔

 そのような背景から、一九世紀中頃にアメリカで麻酔技術の研究開発が活発になります。最初に挑戦したのは薬学にも精通した医師C・ロング(図2)です。ジエチルエーテルを吸入すると、殴打されても気付かないほどになることに注目、一八四二年に布地に浸透させたジエチルエーテルを患者に吸引させて腫瘍を切除することに成功しました。ロングは重大な成果とは認識せず、四九年になって論文を発表しましたが、後述のように遅過ぎました。

図2 C.W.ロング(1815-78)

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