清々しき人々 第13回 天平時代の社会改革に活躍した僧侶 行基

栄耀栄華時代の裏側

 藤原京からの遷都により、平城京が日本の都となった七一〇年から平安京に遷都する七九四年までは奈良時代とされますが、その中心は第四五代聖武天皇が在位された七二四年から七四九年まで二六年間の天平時代です。この天下泰平を連想させる年号の時代は「あおによし 奈良の都は 咲く花の におふがごとく 今盛りなり」という和歌に象徴されるように、古代の栄耀栄華の時代のようですが、実態は内乱、疫病、災害が頻発した時代でした。

 とりわけ農民には穀物を自身で運搬して支払う「租」、労役で支払う「庸」、織物で支払う「調」などの課税や、防人などの兵役があり、大変な負担を強要されていた時代です。この一見すると栄華の社会の裏側にある格差を和歌で表現したのが官吏であった山上憶良(六六〇−七三三)です。『万葉集』に七八首の和歌が採択されていますが、多数は地方へ赴任したときに見聞した農民の苦闘を表現した内容で、その代表が「貧窮問答歌」です。

風雑り 雨降る夜の 雨雑り 雪降る夜は 術もなく 寒くしあれば 堅塩を 取りつづしろひ 糟湯酒うち啜ろひて 咳かひ 鼻びしびしに 然とあらぬ 髭かき撫でて 吾を除きて 人はあらじと 誇ろへど 寒くしあれば 麻衾 引き被り 布肩衣 有りのことごと 服襲へども 寒き夜すらを 吾よりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ寒ゆらむ 妻子どもは 乞ふ乞ふ泣くらむ この時は 如何にしつつか 汝が世は渡る
天地は 広しといへど 吾が為は 狭くやなりぬる 日月は 明しといへど 吾が為は 照りや給はぬ 人皆か 吾のみや然る わくらばに 人とはあるを 人並に 吾れもなれるを 綿も無き 布肩衣の 海松の如 わわけ下がれる かかふのみ 肩に打ち懸け 伏廬の 曲廬の内に 直土に 藁解き敷きて 父母は 枕の方に 妻子どもは 足の方に 囲み居て 憂へ吟ひ 竃には 火気吹き立てず 甑には 蜘蛛の巣かきて 飯炊く 事も忘れて ぬえ鳥の のどよひ居るに いとのきて 短き物を 端切ると 言へるがごとく しもと取る 五十戸長が声は 寝屋戸まで 来立ち呼ばひぬ かくばかり すべなきものか 世の中の道

世間を憂しとやさしと思へども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば

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